『白鯨』をめぐって

年頭にメルヴィルの『白鯨』を読んださい、ふと気になったことがあり、映画の生き字引のような年長の友人に尋ねてみた。 ジョン・ヒューストン監督、グレゴリー・ペック主演の『白鯨』の日本公開は1956年。その時点で、原作は阿部知二訳、田中西二郎訳、とも…

俳人とUボート

先月、書評サイト「Book Japan」に、西東三鬼の『神戸・続神戸・俳愚伝』(講談社文芸文庫)が取り上げられていた。評者は北條一浩さん。http://bookjapan.jp/search/review/201101/houjo/20110119.html ぼくは俳句のことはよく知らないが、西東三鬼の句には…

ラピエール&コリンズ『さもなくば喪服を』

『さもなくば喪服を』。いちど目にしたら、なかなか忘れられないタイトルだ。これは初戦を控えた闘牛士が、自分の身を案じる姉に言った言葉だということが、最初のページでわかる。 「泣かないでおくれ、アンへリータ、今夜は家を買ってあげるよ。さもなくば…

山田風太郎『警視庁草紙』

明治六年、東京を去る西郷隆盛を、川路利良大警視が部下を連れ見送る、という場面から、この物語は始まる。が、本筋は歴史の表舞台に立つ側にはない。大警視の後ろに控えた部下の一人、六尺棒を担いだ髭づらの油戸杖五郎巡査が、さまざまな怪事件を追うほう…

『白鯨』航海日誌(3)

第二十二章「メリィ・クリスマス」まで読んだところで、前の航海日誌の筆を置いた。が、結局、そのあとも休まず読み続け、とうとう読み終えてしまった。けっして読みやすいとはいえない、いわば破格の小説なのに、文庫の千頁は、いっこうに長い気がしなかっ…

映画『アンストッパブル』

近頃は洋画も邦画も、二時間を超える大作が普通になってしまっているようだ。そんな中で、この映画の上映時間は一時間四十分ほど。やはり映画は、これくらいの長さがいいように思う。 この『アンストッパブル』、ストーリーはいたって単純だ。小さなミスの積…

『白鯨』航海日誌(2)

『白鯨』に難解なイメージがあるのは、おそらくは巻頭の「語源」と「文献抄」の印象が強いからに違いない。だが、これらが鯨の「世界」や「歴史」を示すもの、と気づくと、この航海、さほど厳しいものではない、という気がしてきた。 そして本編、第一章に入…

『白鯨』航海日誌(1)

読みたい、という気持ちはあるのに、読まないでいるうちに年月がたってしまった本は、誰にもたくさんあることだろう。ぼくの場合、その筆頭に挙げられるのが、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』だ。 読んでみようか、と思ったのは昨年末。ならば新年最初の読書…

片倉出雲『鬼かげろう 孤剣街道』

すべての記憶を失った男。持ち物は、四と二の目しか出ないイカサマ賽と、体が覚えた手裏剣術だけ。国定忠治から「四二目の蜉蝣」の名を受け渡世人となった彼は、群がる刺客たちを倒しながら、なくした記憶を取り戻し、四二目の賽の謎を解く旅に出る。 謎の作…

マーク・ストレンジ『ボディブロー』

元へヴィ級プロボクサーのジョゼフ・グランディは、ヴァンクーヴァーの高級ホテルの警備責任者。経営者レオの信頼が篤いのは、八年前に身を盾に彼の命を救ったからだ。レオの愛人だったメイドが殺され、犯人捜しを命じられたジョゼフは、図らずもレオの過去…

マイクル・コナリー『死角 オーバールック』

深夜、展望台で射殺された医学物理士。彼の勤務先の病院から消えた放射線治療用のセシウム。テロリストの仕業か? FBIの介入を受けながらも、ロス・アンジェルス市警の刑事ハリー・ボッシュは真相を追う。 雑誌に短期連載されたもので、コナリーにしては…

倉庫番の年末

ブログを休んでいるあいだに、こんなことを考えていた。 「一個人が読んだ本について書いた文章を公開することに、どんな意味があるのか」と。 趣味のうちなんだから、意味など考えることはない、とは思う。だが、少しは役に立っているだろう、と思えること…

第一回〈ボクシング・ミステリ〉大会

ボクシングが好きで、ミステリの題材になっていると、それだけで嬉しくなる。こと近年、自分でサンドバッグを打ったり、試合を見にいったりするようになると、さらに面白くなってきたように思う。そこで、ボクシングがらみのミステリで、ぼくが好きなのを、…

ポール・ギャリコ『マチルダ ボクシング・カンガルーの冒険』

もし、サーカスにいるボクシング・カンガルーが、プロボクサー、それも世界チャンピオンと対戦したら? かれこれ四十年も前に、こんなアイデア一つで、楽しくて痛快でわくわくする小説を書いた人がいる。その小説のタイトルは『マチルダ』、書いたのはポール…

フェリクス・J・パルマ『時の地図』

しんそこ楽しいと思える小説に、久しぶりに出会った。スペインの新鋭作家による、仕掛けと遊び心に満ちた、言ってみれば「西洋伝奇小説」だ。 舞台は1896年のロンドン。H・G・ウエルズの小説『タイム・マシン』が発表された翌年、マリー時間旅行社による20…

マイクル・コナリーおぼえがき

この夏は、マイクル・コナリーの長篇ミステリを読むのに費やした。邦訳されたもの十七作、どれひとつ外れがないことに、あらためて脱帽した。初めて読むものはもちろん、再読したものはなおさらに、その面白さに驚きっぱなしだったのだ。 十余年にわたって、…

平賀三郎編著『ホームズなんでも事典』

シャーロック・ホームズは好きだが、シャーロッキアンを名乗るほどでもない。だからか、このような本が出ていることにも、気づいていなかった。日本シャーロック・ホームズ・クラブのメンバーを中心に、さまざまな人たちが、ホームズをめぐる雑学を披瀝して…

和田誠の仕事(たばこと塩の博物館)

(展示作品の一点。たばこと塩の博物館HPより) 先月の11日から、たばこと塩の博物館で開催されている「特別展 和田誠の仕事」を、ようやく見にいくことができた。 和田さんの、デザイナーとしての仕事のはじまりに、煙草「ハイライト」のデザインがあった…

マイクル・コナリー『終決者たち』ほか

この二か月ほどで、マイクル・コナリーの長篇ミステリのうち、邦訳されたものをほぼ読み通した。その間は、なんとも幸せな時間だった。ほぼ、というのは、発売されるやすぐ購読した二作、昨年の『リンカーン弁護士』と最新の『エコー・パーク』は、まだ印象…

マイクル・コナリー『シティ・オブ・ボーンズ』ほか

引き続き、マイクル・コナリーの長篇を、原書発表順に読んでいる。デビュー作の『ナイトホークス』から『ラスト・コヨーテ』までの四作を紹介したのが先月のはじめのこと。あれからひと月とちょっとで、長篇、それもけっこう長いものを、七作も読み終えてし…

サイモン・ルイス『黒竜江から来た警部』

「パパ、助けて」突然、留学先からかかってきた一人娘ウェイウェイの電話。ジエン警部は矢も盾もたまらず、英語がまったくできないことも忘れて英国に単身乗り込んだ。言葉の壁にもカルチャーギャップにもめげず、ジエンは持ち前の強引さで中国系移民社会の…

マーク・コーエン『フラクタル連続殺人』(未訳)

全体にユーモアがあって洒落た雰囲気で、展開も会話も小気味よく、筋に仕掛けやひねりが利いている。そんなミステリが読みたくなった。いくらでもあるよ、と言われそうなものだけれど、読みたくなったときには、不思議なことに見つからない。 とりあえずは、…

このブログについて

小説でもジャズでも映画でも、自分が「いいな」と思ったら、自分の言葉でその思いを書いておきたい。そんな気持ちで、このブログを続けてきました。書くときには、借り物の言葉をできるかぎり避けてきました。「いいな」と思わないものは、良さがわかるまで…

団鬼六『真剣師 小池重明』

ぼくは将棋のことはよく知らない。賭け将棋ならば、なおさらに。小池重明(こいけじゅうめい)という人のことも知らない。だが、本書の「まえがき」に惹きつけられた。「異端のアマ超強豪」で「新宿の殺し屋」と呼ばれた彼は、己が心の清濁明暗の狭間をさま…

デイヴィッド・ベニオフ『卵をめぐる祖父の戦争』

個人的な思い出ばなしから、はじめさせていただきます。「ポケミス」こと、「ハヤカワ・ミステリ」という翻訳ミステリのシリーズを知ったときほど、わくわくしたことはない。通し番号、抽象画の表紙、ビニールカバー、黄色い小口といった、他に似た本のない…

マイクル・コナリー『ナイトホークス』

マイクル・コナリーの最新作『エコー・パーク』を読んだら、ハリー・ボッシュ・シリーズを通して読んでみたくなった。シリーズものだからといって、なにもそう律儀にならなくても、と自分でも思うのだが、以前マルティン・ベック・シリーズと87分署シリーズ…

立原透耶『夢の中の少女』

つくりごとのホラーは大好きなのだけれど、「本当にあった怖い話」の類は、本当に怖いので敬遠している。実話怪談の本が流行っているようだけれど、ほとんど手に取ったことがない。 それでも、立原透耶さんの怪談実話集だけは、楽しく読んでしまう。「怪異を…

金原瑞人編訳『八月の暑さのなかで』

ホラーが好きで年じゅう読んでいるものだから、夏といえば怪談、とはあまり思わないのだが、この猛暑の折に相応しいタイトルのアンソロジーが出ていたので、飛びついて読みはじめた。英米の怪奇小説から、金原瑞人さんが傑作を選りすぐって訳した、『八月の…

ルイス・ベイヤード『陸軍士官学校の死』

自分が読んだ本について書くことが、気づかれず見過ごされていた本に目が向くきっかけになればいいな、と思う。読もうかどうしようか迷っている人の背中を押すくらいの役に立つほどのことができれば、さらにいい。「本が売れない」と聞く一方、その声とは裏…

ジャック・カーリイ『百番目の男』

とんでもないミステリ作家がいたものだ。ジャック・カーリイ、曲者であり、巧者でもある。 この人の長篇ミステリは三作も邦訳されているのに、読み逃していたので、まずは評判の高い第二作『デス・コレクターズ』を読んでみた。で、読み終える前に第一作の『…