気球に乗って五週間

 この春、集英社文庫から、ジュール・ヴェルヌの作品が四点、刊行された。代表作の『海底二万里』と『十五少年漂流記』に加え、古本屋でもなかなか見かけない『気球に乗って五週間』と『チャンセラー号の筏』、という顔ぶれ。ぼくはよく知らないのだが、ジャケットの装画は、若い人たちに人気の高い漫画家の諸氏によるものらしい。そういえばこの四点、十五年ほど前に同文庫から出ていた一連のヴェルヌ作品の復刊だけれど、あのときの装画はメビウスだったな。画風の好悪はあるかもしれないし、部数が少ないせいか、どこの書店にもあるというわけではなさそうだけれど、ヴェルヌの本が手に入りやすくなるのは嬉しいことだ。
 光文社古典新訳文庫の『八十日間世界一周』、角川文庫の『海底二万海里』など、近頃ヴェルヌの名前を書店で見ることが増えてきた。何がきっかけなのかはわからないけれど、ヴェルヌのファンの一人としては、これが大きな動きになってくれるといいな、と期待している。

 さて、『気球に乗って五週間』は、《驚異の旅》シリーズの第一作で、冒険ロマンの作家ヴェルヌの出発点ということになる。陸路では困難をきわめるアフリカを、気球に乗って空から探検してしまおう、という物語。「気球」という発明をネタにしただけの話では、もちろんない。おそらくは、ヨーロッパ諸国によるアフリカ探検の歴史を踏まえ、「もし空からだったら、これほどの苦難はなかったのではないか」という発想のもとに書かれたのではないだろうか。
 意志堅固な英国人ファーガソン博士と、彼の忠実な助手、陽気で活発なジョーのコンビは、『八十日間世界一周』のフォッグ氏とパスパルトゥーを連想させる。博士の親友であるスコットランド人のハンター、ケネディは、博士とは好対照で、バランスの良い配役だ。この三人の冒険行には、十九世紀らしいおおらかさと、未知なる土地への憧れが、心地よいまでに溢れている。ほんとうに空を旅してきたかのような語り口も、しんそこ楽しい。
 また、端々にうかがえるアフリカ観や、そこから転じてのヨーロッパへの批判からは、ヴェルヌのジャーナリストとしての視点が感じられる。同じアフリカ探検物語の、H・R・ハガード『ソロモン王の洞窟』(1885)の二十数年前に発表された作品なのに、並べてみるとハガードのほうが古びて見えるのは、彼とヴェルヌの、アフリカに向ける「目」の違いなのだろう。もちろん、ぼくは『ソロモン王の洞窟』も好きだし、ハガードという作家には敬意を抱いている。だが、本作から感じられるヴェルヌの、今にも通じるアフリカ/ヨーロッパ観と、史実の踏まえかたの前には、やはり一歩譲ると認めないわけにはいかない。
 なお、本書の解説は、あがた森魚。ヴェルヌへの愛情が響いてくる文章に、同好の士ここにもあり、と、心楽しくなった。

『気球に乗って五週間』ジュール・ヴェルヌ 手塚伸一訳 集英社文庫2009改訂新版(文庫初刊1993 初刊1968)
CINQ SEMAINES EN BALLON par Jules Verne, 1863