『白鯨』航海日誌(3)

 第二十二章「メリィ・クリスマス」まで読んだところで、前の航海日誌の筆を置いた。が、結局、そのあとも休まず読み続け、とうとう読み終えてしまった。けっして読みやすいとはいえない、いわば破格の小説なのに、文庫の千頁は、いっこうに長い気がしなかった。
 ぼく自身、昔から冒険小説はもちろん、動物も海も好きだから、まさに自分のための小説だ、と若い頃に飛びついていてもよさそうなものなのに、なぜ四十路も半ばに至るまでこれを読まなかったのか、と、読み終えて首をひねっている。
 もっとも、この『白鯨』、誰にでもお薦めできるような小説ではない。ユーモラスな語り口の冒険小説と思って読んでいられたのは、実は先週に書いたあたりまで。船出のあと、物語は破調に破調を重ねて、なんとも不思議な航海が続くからだ。
 一等航海士スターバック以下、荒々しくも勇敢な乗組員たちが顔を揃える。白人ばかりでない。クィークェグのほかにも、タヒチ人やアフリカ人やアメリカ先住民の船員もいる。膚の色に関わりなく、みな「船乗り」で「鯨捕り」だ。謎めいたエイハブ船長も、意外にあっさりと姿を現す。このあたりだけでも、いくらでも劇的に書けそうなのに、早くも脱線がはじまる。白鯨モービィ・ディックと、それを仇と狙う隻脚のエイハブ船長の対決だけを語っても、血沸き肉躍る物語になるだろうに、語り手の心は物語からは遠ざかっていくようだ。
 それを象徴しているのが、第三十二章「鯨学」。まさに章題どおりで、まるで動物学の本の序論のようだ。さらに語り手は捕鯨への偏見に抗議し(第二十四、二十五章)、「白」が象徴するものとその歴史を考察していく(第四十二章)。図像学に触れて古い「海の怪物」のイメージを笑いとばし(第五十五章〜第五十七章)、解剖学をもって抹香鯨とせみ鯨を比較していく(第七十四章)。乗組員たちの作業を通しても、鯨油の採取法から鯨料理にいたるまでを語るという、本筋を忘れてしまうほどの博引傍証ぶりだ。
 これは小説の形をしてはいるが、実は鯨の百科全書なのだ。広大な海と、そこに棲む巨大な海獣を、本の中に封じ込めてしまわんばかりに、メルヴィルは章を重ねているのだ。そう気づくと、鯨への、さらには海への畏怖が、いたるところに描かれているのが、わかってきた。鯨の生態を語る言葉の端々からは、驚きと敬意が読み取れる。この小説が書かれた当時、鯨の知性についての理解がどの程度だったかは知らないが、少なくともメルヴィルは、気づいていたのだろう。また、第五十一章に描かれる夜の光景や、第五十九章の巨大な烏賊の描写からは、海への「畏れ」が伝わってくる。のちにW・H・ホジスンやH・P・ラヴクラフトが書いた、海の恐怖小説のように。
 筋立てではない、この博覧強記ぶりを楽しもう。そう思えば、脱線も脱線ではない。だが、鯨の化石から遠い過去に思いを馳せ、この種族の未来を案じたあと(百四、百五章)は、物語の流れは冒険小説へと戻っていく。エイハブとモビィ・ディックの追跡と対決が、三十章に亘って描かれるのだ。
 読み終えたときには、とんでもなく巨大なものに触れたような、長くはないが波瀾に富んだ旅を終えたような思いがした。
 この小説、まずは素のまま読みたかったので、「訳者ノート」はもちろん、予備知識になりそうなものには、いっさい目を向けずにいた。だから、これまでの読者の深い「読み」がどんなものか知らない。だが、思いついたことがあるので、ちょっと書いておこう。
 イシュメールという語り手、風来坊を自称する船乗りなのに、やたら博識で、なんとも妙なキャラクターだ。彼のことを考えていて、ふと思い出したのがジュール・ヴェルヌの『海底二万里』(1870)。アロナックス博士は、自分の乗った船が難破したさいにバイロンを思い出すほどの、常軌を逸した文学好き。彼の助手コンセイユは、海洋生物の生き字引ながら、知識のほとんどは文献から得たもので、実際に生体に触れたことはほとんどない。銛打ちネッド・ランドは、船乗りの経験を重ねて、海とそこに生きる生物の知識を得ている。もしかして、彼らはイシュメールを三人に分けたのではないか。すると、白鯨への妄執ゆえに孤独にならざるを得なかったエイハブ船長に、やはり孤独なネモ船長の姿が重なってくる。
 船長といえば、ジャック・ロンドン『海の狼』(1904)に登場するアザラシ猟船の船長「狼ラーセン」は、エイハブの孤独と妄執をさらに拡大させたような人物ではないだろうか。
 ヴェルヌもロンドンも『白鯨』を読んだのかもしれない、と思いをめぐらすうちに、物語のはじまりである「ナンタケット」という地名が、ふと気になった。そこで、この港町といえば、とばかりにE・A・ポオの「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」(1837)を何気なく開いたら、その書き出しが……。この時代のお約束だったのかもしれないが、メルヴィルもポオを読んでいたかもしれない、と思うと、楽しくなってくる。『海底二万里』や『海の狼』を読んだのはわりと最近だから、これからポオを、そのあとでヴェルヌの『氷のスフィンクス』も読んでみようか。もちろん、『白鯨』がどう読まれていたか、これまでに書かれた解説や評論も、気になってはいるのだが。

『白鯨』上下 ハーマン・メルヴィル 田中西二郎訳 新潮文庫2006改版(1952初版)
MOBY-DICK by Herman Melville, 1851
http://www.shinchosha.co.jp/book/203201/
http://www.shinchosha.co.jp/book/203202/