ラピエール&コリンズ『さもなくば喪服を』

『さもなくば喪服を』。いちど目にしたら、なかなか忘れられないタイトルだ。これは初戦を控えた闘牛士が、自分の身を案じる姉に言った言葉だということが、最初のページでわかる。
「泣かないでおくれ、アンへリータ、今夜は家を買ってあげるよ。さもなくば喪服をね」
 この言葉だけでも、闘牛士というのが富と名声を得られる職業であり、その富と名声は死と隣り合わせである、ということが伝わってくる。こう言ったのは、本書の主人公マヌエル・ベニテス。「エル・コルドベス」として知られる、1960年代のスペインの英雄である。
 九章立ての本書では、章ごとに二つのことがらが語られていく。奇数章では、1964年5月20日マドリードで行われた、エル・コルドベスの闘牛の顛末。闘牛士の一挙手一投足。猛牛の角の一閃、濡れた砂を蹴上げる蹄。映像を見るかのような動きが、闘牛場に詰めかけた観衆の、場内に入れずTVにかじりつく人々の熱狂とともに、文章から鮮やかに伝わってくる。その克明さには驚くほかない。たとえば、第一章では闘牛はまだ始まらない。驟雨のなかエル・コルドベス本人が闘牛の開始を宣言するまでに、六十ページあまりを費やしている。続く第三章では、猛牛インプルシボが入場してから闘牛士と対峙するまでに、十ページを要している。それでいて、読んでいてまったく長く感じられない。まるで映画を見ているように、綿密で鮮やかなのだ。
 偶数章では、貧しい少年マヌエルが闘牛士になる夢を叶えるまでを、彼に近しい人々の言葉をまじえながら語っているのだが、サクセス・ストーリーに留まってはいない。まずは彼が誕生する前、スペインが君主制から市民戦争を経て共和制に移っていくさまを、参戦した彼の父のエピソードとともにつづっていく。だが、新政権は旧悪を保ったまま腐敗。自由を期待した人々は、さらに悪化する貧窮のなか、教会が押しつける旧弊なモラルに加え、警察権力からも自由を奪われていく。禁書はじめ「これは中世の話か?」と驚くようなことが、二十世紀のスペインでは行われていたことも書かれている。そんな不自由な環境でも、マヌエルが夢を捨てることはない。彼がひたすら闘牛士への道をめざすさまが描かれているから、逆境も悲惨には見えないのだ。遍歴と冒険の騎士道物語を読むような思いになってくる。
「スペインを知ることは闘牛を知ることだ」という言葉が、本書のどこかに出てくる。フランス人のラピエールと、アメリカ人のコリンズは、取材にあたりエル・コルドベスと長期にわたり行動をともにしたというが、彼らが知ったスペインを、日本人のぼくもまた、いながらにして知ることができる。ひとりの闘牛士の物語としても、闘牛を通して書かれたスペイン現代史の本としても、本書はすばらしく面白い。
 本書はかくも見事なノンフィクションなのだが、現在は入手しづらいのが残念だ。だが、ノンフィクションの名著は全般に同様の現状で、フィクションの名作にくらべると、恵まれているとは思えない。

『さもなくば喪服を』ドミニク・ラピエールラリー・コリンズ 志摩隆訳 ハヤカワ文庫NF 1981
...OU TU PORTERAS MON DEUIL (OR I'LL DRESS IN MOURNING) by Dominique Lapierre and Larry Collins, 1967