俳人とUボート

 先月、書評サイト「Book Japan」に、西東三鬼の『神戸・続神戸・俳愚伝』(講談社文芸文庫)が取り上げられていた。評者は北條一浩さん。

http://bookjapan.jp/search/review/201101/houjo/20110119.html

 ぼくは俳句のことはよく知らないが、西東三鬼の句には若い頃、はまったことがある。名前の字面に惹かれたのだが、俳句もその名に劣らぬ、独特のものだ。

水枕ガバリと寒い海がある
露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す
日本の笑顔海にびつしり低空飛行

 ちょっと思い出しただけでも、なんともいえない不思議な味わいの句が並べられる。余談だが、三番目の句にインスパイアされたというヒカシューの曲「日本の笑顔」も好きだ。
 三鬼の生涯は、その俳句以上に特異なものだったことが、この文庫の巻末に収録された年譜からも読むことができるが、その生涯のひととき、戦時中から終戦後にかけての神戸での生活を描いたのが、ここに収録された小説「神戸」と「続神戸」だ。やはりこれらも、特異な小説という印象がある。
「神戸」の舞台は、古ぼけた安ホテル。いや、建物はホテルでも実質は下宿屋のようなものだが、そこで生活している在日外国人たちや、バーの女たちの日常を、東京に嫌気がさして逃げてきた三鬼は描く。俳人だからか、文章には無駄がなく、描きだすイメージは鮮やかだ。登場人物の一人ひとり、誰もが悲しみを背負っているし、戦争も影を落とすから、やりきれない話になりそうなのに、逆にどこかしら明るく、あたたかく、どの物語を読んでも自然に共感の笑みが浮かんでくる。ホテルが戦災で焼失してしまい、だだっ広い借家に移り住んだ三鬼の、進駐軍を相手に右往左往する日々を描いた「続神戸」にも、同様のおかしみと悲しさがともにある。
「俳愚伝」は、題名どおり俳人としての三鬼の小自伝といった趣の一篇だが、戦前の俳句界も俯瞰できる。興味深いのは、特高警察による言論弾圧「京大俳句事件」の一部始終が、当事者の視点から語られていることで、一人の警察官の功名心が事件を捏造し、根拠もなく関係者を追い詰めていくさまには、不条理な恐ろしさを覚えずにはいられない。

 さて。「神戸」にしばしば、「ドイツ潜水艦の水兵」が登場する。潜水艦とはUボートのことだろうな、と思ううち、つい手に取ってみたのがチャールズ・マケインの小説『猛き海狼』。原題を直訳すると「誇り高きドイツ人」だが、まさに原題どおり、若き独海軍士官の誇りと戦いを描いた逸品だった。
 主人公の海軍士官マックスは、前半では「ポケット戦艦」グラーフ・シュペー号の乗組員として英艦と海戦を交わし、後半ではUボートの艦長としてフロリダ沖へ攻撃に向かう。だが、もちろんそれだけの物語ではない。負傷と挫折、荒れ果てた祖国とナチの台頭、婚約者との身分や家柄の格差、困難な任務と致命的な誤謬といった、戦場でもその外でも待ち受ける戦いの中で、成長してゆく青年の姿を描いたビルドゥングス・ロマンでもある。著者が史実を丁寧に追っているためか、いくぶん地味な印象はあるが、ヒギンズの『鷲は舞いおりた』やフォレットの『針の眼』のような、第二次大戦をドイツ側から描いた冒険小説に、またひとつ傑作が加わった。翻訳もすばらしく、たとえば上巻の海戦場面は、繊細な言葉が勇壮な情景を鮮やかに浮かび上がらせている。
 なお、三鬼が神戸で見聞したドイツ水兵の行状だが、本作にも同様の記述があった。撃沈した敵船から食糧や生活必需品を調達することで、三鬼は海賊のように思ったか、快くはなさそうな書き方をしているが、物資の調達が困難な海の上、やむを得ないことだったのではないだろうか。

『神戸・続神戸・俳愚伝』西東三鬼 講談社文芸文庫 2000(初刊1975)
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1982125
『猛き海狼』上下 チャールズ・マケイン 高見浩訳 新潮文庫 2010(AN HONOURABLE GERMAN by Charles McCain, 2009)
http://www.shinchosha.co.jp/book/217781/
http://www.shinchosha.co.jp/book/217782/