火を熾す

柴田元幸翻訳叢書 ジャック・ロンドン 火を熾す』(スイッチ・パブリッシング 2008)は、ぼくにとっては、最高の出版企画だ。名手の名短篇を、第一人者の翻訳で読めるのだから。
 訳者あとがきによると、ロンドンの短篇小説は二百篇を数えるという。その中から本書に選ばれた九篇は、彼の幅広く奥行きも深い作風を感じさせるもので、まさに傑作選だ、と言いたくなる。どれをとっても、どこから読んでも、面白いのだ。雑誌文化が隆盛し、大衆化していった時代に書かれたものなだけに、冒険小説あり、恐怖小説あり、ボクシングものありで、今の娯楽小説同様、掴みもいいし捻りもある。そんな中に、弱者への共感や、自然の畏敬も描かれている。
 表題作「火を熾す」は、犬一頭のみを供に厳寒の平原を行く男の話。寒ささえなければたいしたことのない道のりが、死と背中合わせの冒険行となる。ペーパーバックのホラー・アンソロジーに収録されているのを見たことがあるが、この文字どおり凍てつくような恐怖感、ホラーとしても納得の名篇だ。(To Build a Fire, 1908)
「メキシコ人」は、メキシコ革命のリーダーの前にふらりと現れた奇妙な若者が主人公。勘のいい読者ならば、前半を読んだところで、彼が何者で物語が後半どう流れるか、ある程度までは想像できるだろう。が、それでも、この後半の迫力には圧倒されるに違いない。(The Mexican, 1911)
 ハワイの伝説を踏まえた「水の子」は、キリスト教文明と白人社会に圧迫されていく島の住民たちの悲しみと、その向こうにある力強さを描いていて、短いのに胸に深く残る。(The Water Baby, 1918)
「生の掟」は、アメリカ先住民の伝統を描いていて、彼らの「掟」は、おそらく異民族には理解しえないだろう。が、自然の摂理にかなっていることもたしかだ。怖ろしいほどに静かな物語で、この「静けさ」を描いたというだけでも、ロンドンという人のすごさが感じられる。(The Law of Life, 1901)
「影と閃光」は、いわばSFの〈マッド・サイエンティスト〉もの。ライバル同士である二人の若い科学者の、目的を一にしながら対極にある発明は、なんとも奇妙なものなのだが、完成に至る過程の描き方がいちいちもっともらしく、二人それぞれのキャラクターも加わって、ありえない話にいちいち納得して、引き込まれてしまう。H・G・ウェルズの『透明人間』が発表されたのが1897年。本作のあちこちに、ウェルズを意識したと思われるところが見つけられるのも、面白い。(The Shadow and the Flash, 1913)
 短い中に、作者の思想を凝縮した傑作「戦争」は、読み終えてしばらく、最後の一段落を読み返すほか、何もできなくなった。(War, 1911)
「一枚のステーキ」は、ボクシング小説の傑作。この競技と、それに関わる人々のすべてが描かれている、といってもいいだろう。主人公の男泣きに、読み終えて貰い泣き。(A Piece of Steak, 1909)
 ウェルズを意識したのが「影と閃光」なら、「世界が若かったとき」の発想は、スティーヴンスンの『ジキル博士とハイド氏』(1886)からだろうか。主人公の変身ぶりにも驚くが、クライマックスで彼が見せる行動にはさらに驚いた。(When the World was Young, 1910)
 サバイバルを描いた小説として、巻頭の「火を熾す」と対をなすように思えるのが、巻末の「生への執着」。ただ耐え続け、ひたすら歩き続ける主人公の姿には圧倒される。一見蛇足のような結末も、実に納得できるもので、ロンドンに脱帽するほかない。(Love of Life, 1905)
 柴田元幸さんは好きな翻訳家の一人で、訳書はこれまでもいくつか読んでいるけれど、本書では、ことさらに楽しく翻訳しているようで、言葉の冴えもひとしおだった。この叢書、次巻はバーナード・マラマッドを予定しているという。刊行が待ち遠しくてならない。