十の罪業〈RED/BLACK〉

 これは個人の趣味でしかないのだが、海外のミステリはもちろん、アンソロジーも、中篇小説も好きだ。だから、エド・マクベイン晩年の大仕事 TRANSGRESSIONS は、原書の存在を知るや、邦訳を楽しみにしていた。アメリカでもトップクラスの作家十名の、長さや題材に制約のない、書き下ろし作品を集めた、というのだから。
 原書ハードカバーはまるで百科事典のようだったが、邦訳は文庫二分冊で、約1400ページ。期待どおりの楽しさだった。

『十の罪業 RED』
「憎悪」エド・マクベイン 木村二郎訳 Merely Hate by Ed McBain
 87分署もの。イスラム教徒のタクシー運転手が次々に殺され、現場には青い「ダビデの星」が書き残されるという事件を、キャレラとマイヤーが追う。9・11の事件が物語にからんではくるものの、シリーズ初期作品を読んでいるような味わいがあり、あらためてマクベインの筆力には脱帽した。
「金は金なり」ドナルド・E・ウェストレイク 木村二郎訳 Walking Around Money by donald E. Westlake
 ドートマンダーもの。彼とケルプは、南米某小国の紙幣の「発行」に協力することになるが……。このアイデアがまず可笑しい。「銀行ごと強盗してしまう」というシリーズ初期のアイデアに比するべき、犯罪計画の奇天烈さ。長篇にすることもできたろうに、短く引き締めてピリッとした味わいを持たせているのは、さすがウェストレイク!
「ランサムの女たち」ジョン・ファリス 中川聖訳 The Ransom Women by John Farris
 画商のもとで働くエコーに、孤高の画家ランサムから、彼の絵のモデルになってほしい、という連絡が。だが、奇妙な交換条件がついてきた。彼女の婚約者で刑事のピーターは、これまでランサムの絵のモデルになった女性たちを捜すが、彼が見つけたのは怖ろしい暗合だった。ゴシックロマンと警察小説がサイコホラーを触媒に融合した、という印象の、見事なサスペンス。邦訳に恵まれないファリスだが、ペーパーバックを探して、彼の作品を読みたくなった。
「復活」シャーリン・マクラム 中川聖訳 The Resurrection Man by Sharyn McCrumb
 二十世紀のはじめ、南部のある医科大学に長年勤務している老黒人が物語る、彼自身の数奇な半生。ゴシック・ホラーを思わせる素材だが、奴隷制度時代の黒人の社会的な立場や白人との関わりを描いて、サスペンスフルで、かつ心に沁みる見事な一篇に仕上げている。
「ケラーの適応能力」ローレンス・ブロック 田口俊樹訳 Keller's Adjustment by Lawrence Block
 殺し屋ケラーもの。これまでのシリーズ作品同様、この特殊な職業の男が取り組む仕事と、彼の思索が描かれていて、じっくり読ませるものだが、やはりここでも、ケラーにとっての9・11事件が語られる。のちに長篇『殺しのパレード』の一部になった、というが、これは独立した中篇として称賛したいところ。

『十の罪業 BLACK』
「永遠」ジェフリー・ディーヴァー 土屋晃訳 Forever by Jeffery Deaver
 連続する老夫婦の自殺に、金融犯罪と統計を担当する刑事タルボット・シムズは、数学の天才らしい疑問を抱く。これは殺人ではないか? ディーヴァーらしい、ひねりのきいたプロットの快作。シムズと、殺人課の刑事ラトゥーアとのコンビがとてもいい。
「彼らが残したもの」スティーヴン・キング 白石朗訳 The Things They Left Behind by Stephen King
 9・11事件後、貿易センタービル内のオフィスに職場を持っていた「わたし」のもとに、死んだ同僚たちの持ち物が忽然と現れるようになる。キングのこの一篇、アンソロジーの中ではやや短めだが、中身はもちろんひけをとらない。心に深く沁みる。
「玉蜀黍の乙女(コーンメイデン)――ある愛の物語」ジョイス・キャロル・オーツ 圷香織訳 The Corn Maiden: A Love Story by Joyce Carol Oates
 十代の少女たちによる、無軌道で異常な誘拐事件の顛末。現実感があって、なんとも怖ろしいのだが、誘拐された少女の母親と、容疑を受けた教師のまっすぐさが対照的で、あたたかい読後感がある。
「アーチボルド――線上を歩く者」ウォルター・モズリイ 土屋晃訳 Archibald lawless, Anarchist at Large: Walking on The Line by Walter Mosley
 ジャーナリスト志望の大学生フィリックスは、奇妙な求人広告に惹かれ応募すると、行った先にいたのはさらに奇妙な男アーチボルド。アナーキストを自称する彼の仕事を手伝うや、フィリックスはとんでもない冒険の渦中へ! ぜひシリーズ化してほしい、二十一世紀の名探偵物語にして冒険活劇。予想のつかない展開といい、おかしなキャラクターたちのユーモラスな会話といい、心底愉しい。
「人質」アン・ペリー 田口俊樹訳 Hostages by Anne Perry
 急進的な意見の持ち主で、強い影響力を持つアイルランドの政治運動家コナーが、家族を連れ海辺で休暇を過ごすことに。が、現地で護衛の青年たちが姿を消してしまったばかりか、見知らぬ男たちに軟禁されてしまう。政治や宗教が背景にあっても、物語の読みどころはやはり、密室劇的なサスペンス。コナーの妻ブリジッドの視点が、緊迫感を増す。

 どれを読んでも、どこから読んでも、短篇の気軽さで、長篇の充実感が味わえる。そんな作品が十篇も読めるから、得した気分にもなれる。もしかしたら、近頃の長篇ミステリは長すぎるんじゃないか、と思うほどに。

『十の罪業 RED』『十の罪業BLACK』エド・マクベイン編 創元推理文庫 2009 TRANSGRESSIONS edited by Ed McBain, 2005