宮沢賢治を読む

 子供の頃、少しだけ読んだ記憶のある宮沢賢治の作品を、読み返したくなった。
 きっかけになったのは、ひらいたかこさんと磯田和一さんの『イーハトヴ、イーハトーボ 賢治の居た場所』(河出書房新社 1996)。《旅の絵本》シリーズ(東京創元社)でヨーロッパ各地を描いたように、お二人の絵と文とで、宮沢賢治ゆかりの岩手各地を描いた本だ。宮沢賢治という人とその作品を、ぼんやりとしか知らないでいても、旅の楽しさ、岩手の風土と歴史、町並の美しさなどが伝わってくる。

 この本を読んでいるうちに、ぼくの持っていた「東北に仏教的ユートピアを夢見た労働詩人」という宮沢賢治のイメージは、間違っているのではないか、という気がしてきた。そこで、新潮文庫で出ている宮沢賢治の本を通して読んでみることにした。『新編 風の又三郎』(1989)『新編 銀河鉄道の夜』(同)『注文の多い料理店』(1990)『新編 宮沢賢治詩集』(1991)『ポラーノの広場』(1995)の五冊だ。
 すべて読み終えて、ぼくの賢治観はやはり間違っていた、ほんの一部分を偏った目で見ているだけだった、とわかった。あらためて出会った彼は、新しいもの好き、音楽好きな洒落者。動物や植物ばかりか、鉱物とも言葉を交わすナチュラリスト。笑いを武器に、偉ぶった連中を凹ますパンク詩人。宮沢賢治って、かっこいいじゃないか!
 こと、彼の詩は、科学や宗教の用語も、動植物や鉱物の名前も、土地の訛りも一体となって、鮮やかなイメージを生み出していく。その言葉は斬新で繊細、そして力強く、心地よい。「告別」なんて、そのままロックの歌詞のようだ。そんな中にあるからこそ、「雨ニモマケズ」は、ステージを降りたあとのスターの独り言のように、胸に響く。
 童話も多彩で、一篇一篇がどれも忘れがたい。「なめとこ山の熊」や「水仙月の四日」のような、自然の厳しさを描いたものもある。その一方で、ブラック・コメディの「注文の多い料理店」や、力で支配しようとした蛙たちに手痛いしっぺ返しを食らう「カイロ団長」のドタバタぶり、腹ペコ兵団と飽食将軍のナンセンス芝居「飢餓陣営」など、腹の底から笑えるお話もある。鉱物図鑑のような「楢ノ木大学士の野宿」は、ほら男爵の物語のようだし、「鴉の北斗七星」はクールでかっこいい。どれを取っても、詩と同じように、鮮やかなイメージが残る。だが、中でもイメージの豊かさに圧倒されるのは、やはり「銀河鉄道の夜」だろう。詩と同じように、言葉のひとつひとつが鮮やかで、力強く、物語の世界をくっきりと作り上げている。多くの作品が、日本のファンタジイの古典だ、と呼べるだろう。その中には、のちのSFに落とした影の見えるものもあるだろう。だが、そんな分野分けとは関係なく、一篇一篇が、さまざまな光を放っている。賢治自身が愛好した鉱物の、小さな標本を並べたように。
 秋ごとに東京で開催される鉱物のイベント「IMAGE」に足を運んだとき、書店のブースで『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社 2006)という本を見つけた。著者は鉱物学者として著名な堀秀道氏。賢治の作品を再発見したあと、もう一歩踏み込んでみるのによさそうだ、と、迷わず買った。