ライノクス殺人事件
ミステリを語るさいに「意外な結末」とはよく申しますが、この小説の結末というのも、なるほど意外なものです。
その結末というのが、物語のいちばん最初に、あるのですから。
どんな結末か、などというと、普通は怒られてしまうものですが、これに限っては、結末が物語の最初にあるのですから、怒られることはないでしょう。
突然、ある会社に配送されてきたのは、大きな麻袋が二つ。
苦労して社長室に運び込み、社長手ずから開けてみると、中身にびっくり!
そこに、追い討ちをかけるように、びっくりがもうひとつあって、映画だとそこでエンドマークが出る。
まずは、この「結末」のところを、立ち読みしてみてください。
で、
「こんなオチがつくなんて、いったいどんなミステリなんだろう?」
と思ったら、あなたは作者のトリックに、もうはまっている。
あ、「トリック」というのは、ミステリ用語の、狭い意味のトリックじゃありませんよ。
「芸」とか「仕掛け」とか、あるいは「いたずら」の、あの trick です。
物語の中の、時間の経過を前後させたり、シャッフルしたりするのは、今となってはけっこう使われる手ですが、時は1930年、英米ミステリの黄金期。この「結末」からは、ミステリ作家フィリップ・マクドナルドの、いたずらっぽい笑みが見えてきそうじゃありませんか。
もっとも、マクドナルドという人がどんな顔か、ぼくは知りませんが。
さて、物語が始まると、まず横暴きわまりない怪人物マーシュの乱行が描かれる。
それから、ライノクス社の人望篤い社長べネディックが、そのマーシュ氏と会う約束をする、という話になり、その約束の晩に、自宅で凶弾に倒れてしまう。
血眼でマーシュの行方を追う警察。会社を継いだものの、父が残した借金の返済に懸命の若社長。
犯人は何処? そして、ライノクスの再建は如何?
あれ、とは思いませんか?
そう、事件が起きて容疑者が集められ、データを集めて「犯人は誰?」というミステリではないのです。
でも、「じゃあ、どんなミステリなの?」と訊かれても、うっかりしたことは答えられない。
では、肝心なところをばらさないようにして、こう答えましょう。
お話は小ぢんまりとしたもの。でも、あちこちにちりばめられた、茶目っ気や洒落っ気に、くすくす笑いながら読んで、読み終えたとき「おっ!」と膝をたたきたくなる。
そう、そんなミステリなんです。
『ライノクス殺人事件』の初訳は、1957年。《六興キャンドル・ミステリーズ》というシリーズの一冊として出版されました。
本そのものも珍しく、フィリップ・マクドナルドにも「幻の本格ミステリ作家」というようなイメージがあったようで、この新訳版の解説にも、そのような時代のことが書かれています。
ぼくがこの作家の作品をはじめて読んだのは、《ミステリマガジン》1981年7月号の犯人当て懸賞として掲載された『迷路』。
その後、創元推理文庫から『ゲスリン最後の事件』(のちに『エイドリアン・メッセンジャーのリスト』と改題)と『鑢(やすり)』の二作(ともに1983年)が続いて出たくらいだから、幻の作家というイメージはありませんでした。
むしろ、けれん味のない、しっかりした本格ミステリの『迷路』と『鑢』で、「地味な作家」というイメージができてしまいましたが。
そんな地味な人が書いた、「怪人対名探偵」みたいな感じの『ゲスリン最後の事件』が、いちばん面白かったように思いました。
それくらいの印象だったので、昔に翻訳された珍しい作品まで探してみよう、というところまでは、行かなかったようです。
今は『ゲスリン最後の事件』が手元にないので、参照できないのですが、解説で瀬戸川猛資さんが、この作品を「ユーモアもの」または「ミステリのパロディ」として評価していたのを、『ライノクス殺人事件』を読んで、思い出しました。
本作もまた、笑いながら読んで、読み終えたときに、作者の茶目っ気にまた笑うようなミステリです。
本の珍しさからできてしまった伝説が、作品から一人歩きしてしまった時代もあったようですが、気軽に読める文庫本こそが相応しい一作でしょう。
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『ライノクス殺人事件』
フィリップ・マクドナルド 霜島義明訳
創元推理文庫 2008
RYNOX by Philip MacDonald, 1930
装丁 柳川貴代+Fragment