高安犬物語

 ランダムハウス講談社文庫から、《戸川幸夫動物文学セレクション》の刊行が始まった。
 今月発売の第一巻が『高安犬物語』で、続刊として『虎は語らず』、『人喰鉄道』(長篇)、『オホーツク老人』、『イリオモテヤマネコ』(ノンフィクション)が予定されている。
 監修は、『毒蛇』『朱鷺の遺言』などで知られるノンフィクション作家の小林照幸。小林氏の解説によると、この五巻本は「第一期」の予定なのだそうで、第二期、三期と続いてほしいので、ぼくはまずこの五巻を欠かさず買うと決めた。
 小林氏は、ぼくと歳が近いうえに、十代の頃に戸川幸夫の動物小説を愛読したというので、親近感を感じた。羨ましいのは、中学校の入学祝いに父親から、講談社の《戸川幸夫動物文学全集》全十五巻を贈られた、ということで、同じ年頃のぼくは、市立図書館から借りるたびに「欲しいなあ」と思いながら、新潮文庫の三巻の選集を、ミステリの文庫本と一緒に本棚に並べていたものだった。
 本書の収録作品は「生きる」「高安犬物語」「爪王」「悲しき絶叫」「吾妻の白猿神」「自由が丘の狐」「荒馬物語」「東京雀」「羆が出たァ」の九篇。デビュー作の「高安犬物語」が一九五四年、もっとも新しい「悲しき絶叫」でも一九七三年だが、著者が自然と生き物に向ける目、そこから伝えられるメッセージは、古びない。それどころか、環境への危機感が募る今だからこそ、読者の胸に深く刻まれることだろう。
 四国開発を川獺の目から描いた「生きる」。若鷹“吹雪”と老鷹匠を描く「爪王」。滅びゆくエゾオオカミを通して、人の心のなかに滅ぶものまでも語る「悲しき絶叫」。いずれも、動物小説の逸品だが、冒険小説ともいえるサスペンスフルな作品に仕上がっている。
 毛色の変わったところでは、東京にかつてあった長閑な風景を老婦人が回想する「自由が丘の狐」が、動物は直接には登場しないものの、しみじみとした話。一方、北海道の開拓村を舞台に、タイトルどおりの熊騒動に巻き込まれた人々を描く群像劇「羆が出たァ」は、筒井康隆スラップスティック短篇ばりに可笑しいのだが、お膳を前にした大熊には、この冬に各地の里に餌を求め降りてきた熊たちの姿がかぶさって、ただ笑ってはいられない。
「高安犬物語」はもちろん、「吾妻の白猿神」「荒馬物語」「東京雀」も、人間はどのように動物と接すればいいのかを教わる思いのする作品だ。「高安犬物語」は作者の青春記、「東京雀」は中西梧堂を描いたもの、というところも興味深い。
 どれをとっても上質で、面白くて、深くて、何度も読み返したくなるものばかり。
 多くの読者がこの本を楽しんでくれて、《戸川幸夫動物文学セレクション》が末永く刊行されることを、祈るばかりです。

『高安犬物語 戸川幸夫動物文学セレクション1』
戸川幸夫・著 小林照幸・監修
ランダムハウス講談社文庫 2008
装丁:神永文夫 写真:戸川幸夫
http://www.randomhouse-kodansha.co.jp/books/details.php?id=498