アラバマ物語

アラバマ物語
ハーパー・リー 菊地重三郎訳
暮しの手帖社 1964年初版 2006年第35版
TO KILL A MOCKINGBIRD by Harper Lee, 1960
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 本書の舞台は1930年代、アラバマの小さな町メイカーム。弁護士アティカス・フィンチと子供たち、兄ジェムと妹スカウトの日常と、その中で起きるさまざまな出来事を、スカウトの回想の形で物語っていく。
 町の人々とのつきあい、季節のうつろい、ときにはありふれた、ときには驚くような出来事。兄妹はそれらを澄んだ目で見つめながら成長していく。
 新任の女先生と肌が合わず、退屈な学校。めったに降らない雪に大はしゃぎして、隣のおばさんそっくりな雪だるまを作った冬の朝。花壇を荒らしたお詫びに、偏屈な老婦人にジェムが一月かけて読み聞かせた『アイバンホー』。黒人家政婦カルに連れられて礼拝に行き、温かく迎えられた町外れの黒人教会。継父のもとから逃げてきた従弟が語る大冒険……。それら小さなエピソードのひとつひとつが、不思議なほどの輝きを帯びて描かれている。ときにレイ・ブラッドベリと共通したものや、スティーヴン・キングの小説にも垣間見たものが現れてくるようだ。中でも、噂話のなかでブギーマンのようになったり、やさしい妖精のようになったりする謎の隣人「ブー・ラッドリー」は、姿は見せなくても物語の背後につねに静かに存在していて、忘れがたい。
 田舎町の日常を描くゆったりした流れは、半ばを過ぎると、アティカスが弁護を引き受けた黒人青年が起こしたとされる、ある事件を核にして、物語の色調を変えることなく加速していく。穏やかだが正義感が強く、公正なアティカスの活躍が光る法廷場面を経て、波瀾に富む結末に進むその過程はスリリングで、終盤、ハロウィンの夜の冒険を語るくだりは、さながら上質のサスペンス小説のようだ。
 1960年に発表され、翌1961年にピュリッツァー賞を受賞、さらにその翌年、1962年には映画化され、アティカスを演じたグレゴリー・ペックがアカデミー主演男優賞を受賞……と、輝かしい記録を持つこの小説は、実はとても地味なのだけれど、それだけにアメリカという国を、南部の土地柄を、このアジアの島国で読む者にも、はっきりと感じさせてくれる。ミステリやホラーの読者としては、ブラッドベリやキング、あるいはマキャモンの『ミステリー・ウォーク』などとの共通項も興味深いのだが、さらに面白いのは、デイヴィス・グラッブの傑作サスペンス『狩人の夜』(1953)と不思議な暗合があること。いずれ読み比べてみたい。
 B6判ペーパーバックという、日本にはあまりない造本。映画スチルを使ってはいるが、地味な装幀(タイトル文字から想像するに、花森安治の仕事か?)。強く人目を惹く本ではないが、40年以上のロングセラーを誇るのは称えるべき。大手書店でもあまり見かけることがないのは残念だが、一度は読んでおきたい名作であることには間違いない。