ジュラシック・パーク

 十数年前、スティーヴン・スピルバーグ監督による映画化も相俟って、恐竜ブームを巻き起こしたこの小説がふと懐かしくなり、読み返してみた。1991年、原書刊行年のうちに邦訳。文庫は二年後、1993年3月に刊行されたが、読み返そうと思いたってつい先週買ったのが、同年7月の第24刷。いったいどれだけの部数を刷ったものか、大変なベストセラーだった当時が想像できるが、15年たった今もちゃんと書店に並んでいるから、飽きられることはないのだろう。
 映画を見るのと前後して読んだときは、「いかにもアメリカ式のベストセラーだな」と感じ、「登場人物の書き込みが薄い」のが気になり、「恐竜が動くのが映像で見られるぶん、映画のほうがいい」とさえ思った。正直なところ、さほど面白いとも思えなかったわけだが、読み返してみて、その面白さに驚き、「よくできているなあ」と感嘆した。
 最先端の科学技術を駆使して恐竜を復活させ、南米の孤島で飼育管理、そこをテーマパークとして公開する……という設定にはわくわくするが、この設定、その孤島こそが主役なのだから、登場人物の書き込みが薄いのもむしろ自然。ただ、「こういうテーマパークです。どうです凄いでしょう」では物語にはならないので、島を管理しているコンピュータシステムが停止してしまい、恐竜たちが野放しになってしまう、という事件を、著者は起こす。こうなると人間は、もはや捕食者に追われる獲物でしかない。そんな状況の中、登場人物たち(古生物学者、古植物学者、数学者、パークの経営者、弁護士、獣医などなど)は、それぞれの立場のもと、どのように考え、行動するか。それが物語を動かしていくことになる。蛇足ながら、クライトンもまた「アメリカ式ベストセラー」のお手本の一人、いわば本家なのだから、「いかにも」もまた当然のことだろう。
 バイオテクノロジー、カオス理論、フラクタルといった科学知識が盛り込まれていて、一種の情報小説としての楽しみも、もちろんある。が、それらはまず、あり得ない、でもいつかはあり得るかもしれない「恐竜の復活」を、「もしかしたら、現在にもあり得るかもしれない」と読者に感じさせる演出としてはたらいている。そして、そこから、自然と人知の相克さえ見えてくる。たとえばポール・ギャリコの『ポセイドン』(旧題『ポセイドン・アドベンチャー』)が、海難事故を描いたサスペンス小説でありながら、その奥により深く人の心をとらえる、ひとつの問題を秘めているように。
 恐竜島の大冒険、というシンプルな楽しみ方だけでも、充分に面白い。が、この小説は細部にわたって手を抜かず書かれているので、深読みのしがいがある。じっくり、深く読むうちに、科学だけでなく、さまざまな方向に興味が広がっていく。ネガティヴな先入観を捨てて読んでみてよかった。

ジュラシック・パーク』上下 マイクル・クライトン 酒井昭伸訳 ハヤカワ文庫NV 1993
JURASSIC PARK by Michael Crichton, 1991
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/30696.html