木曜日だった男 一つの悪夢

 無政府主義者の集まりであることをあからさまにして、それゆえに誰も彼らが無政府主義者であることに気づかない。《ブラウン神父》もののチェスタトンらしい、そんな逆説の隠れ蓑をまとう秘密結社に、詩人じつは刑事が潜入し、奇妙な冒険に巻き込まれる、という物語。ずいぶん前に、別の訳者の翻訳で読んで笑い転げたものだったが、この新訳はさらに可笑しく、さらに楽しかった。
 本作を読んでいて、あちこちでルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』やエドワード・リアのナンセンス詩、あるいは『モンティ・パイソン』やザ・ビートルズの映画『HELP! 四人はアイドル』を連想した。物語も残り三分の一というところでドタバタは加速し、奇天烈なネタは雪だるま式に拡大していく。そのネタの転がし方たるや、とても面白いのだが、ミステリのトリック同様で、どんなネタがどう転がるか、書くわけにはいかない。イギリスがギャグの国であることを、あらためて痛感した、とだけ書いておきましょう。ぜひ読んでみてください。可笑しいですよ。
 が、これが「ピクニック物語」であるとは、この新訳で初めて気づいた。なるほど、秘密結社の男たちは、おかしな冒険をするあいだも、なんだか旨そうなものを食べたり飲んだり。思えば訳者は食通としても知られる人、この楽しさを伝えるには他にない適役だろう。
 なお、訳者は同じ文庫で、スティーヴンスンの『新アラビア夜話』を共訳している。これも、前半の「自殺クラブ」は秘密結社のスリリングな物語が、後半の「ラージャのダイアモンド」はスラプスティック・コメディがなんとも楽しく、この『木曜日だった男』とどこかしら共通項があるようにも思えるのだが、本作の序文でチェスタトンがスティーヴンスンを称賛していたと知って、ぼくは驚いた。
 あれ、そういえば、「自殺クラブ」といい、フレミングの《007》シリーズといい、さらにはスパイものの数々といい、イギリスにはコメディばかりじゃなくて、秘密組織のお話も多いなあ。

『木曜日だった男 一つの悪夢』ギルバート・キース・チェスタトン 南條竹則訳 光文社古典新訳文庫 2008
THE MAN WHO WAS THURSDAY: A NIGHTMARE by Gilbert Keith Chesterton, 1908
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