《新訳シャーロック・ホームズ全集》

 ふと思い立って、光文社文庫の《新訳シャーロック・ホームズ全集》全9巻(アーサー・コナン・ドイル 日暮雅通訳 2006〜2008)を、通して読んでみました。
 思えば、初めて読んだミステリが『バスカヴィル家の犬』のジュニア版。小学三年生のときで、これを機にホームズものに熱中することになりました。従兄が持っていた児童文学全集の端本、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』と合本になった『シャーロック・ホームズの冒険』を何度も借りて、
「そんなに好きだったら、あげるよ」
と言ってくれたときの嬉しさも、覚えています(そして、その本は今も大切にしています)。
 かなり多くの人が同じような経験をしているのだと思いますが、ぼくがミステリ好き、ひいては本好きになるきっかけとなったのは、やはりホームズものでした。その後、数年おきに読み返してはいたのですが、全作を通しで読んでみたのは、もしかしたら初めてかもしれません。まして、この新訳は、シャーロッキアンとしても著名な訳者によるもの。他の翻訳で何度も読んでいたとしても、あらためて読む甲斐があります。
 面白い小説は、訳者の数だけ面白さが増す、と日頃から思っていますが、新潮文庫創元推理文庫で読んでいても、この《新訳全集》は、心底楽しく読むことができました。文章は明快なうえ注釈も丁寧で、日本語訳のホームズものとしては早くも不動の位置を占めた、という印象があります(会話文も生き生きとしていますが、ちょっとくだけすぎか、と思うところが少しありました。もっとも、新しい読者には、そんなところも付き合いやすいものでしょう)。
 あらためて読んだ感想を以下に。
『緋色の研究』(1888)は、ホームズという名探偵の紹介はしていても、物語の重点がやはりアメリカでの復讐劇にあるようで、ミステリとして面白くなってくるのは、『四つの署名』(1890)から、という印象がありました。謎の手紙に始まり、殺人事件の捜査から犯人追跡の活劇、そして宝探しと過去の秘密につながっていくさまは、登場人物の一人の台詞を借りれば「まるで伝奇物語」(これは阿部知二訳ですが)というほどの楽しさ。
シャーロック・ホームズの冒険』(1892)、『シャーロック・ホームズの回想』(1893)となると、それぞれの短篇が、短いだけにメリハリが効いていて、さらに面白くなっていきます。やってくるのは町の人から某国の王様まで、持ち込まれる事件も大事件からご近所の相談事みたいな出来事まで、依頼人も事件も、ホームズの活躍ぶりも多彩で、「ドイル先生、一話書くたびに腕を上げていくな」という感じさえします。
 これら一連の作品から、ホームズという人に、『緋色の研究』で紹介された彼とは異なる面が見えてきますが、そんなところから、このキャラクターに不思議な「実在感」を感じます。思えば、身近な友人にも知らない面やわからない部分があり、そんなところのちょっとした発見に、かえって心惹かれることがあります。ホームズが長きにわたって読者から愛されていることの一因は、こんなところにも、あるのかもしれません。
 読んでいてそんな印象を抱いているところに、「最後の事件」を読むと、何度も読んでその後どうなるか知っていても、結構堪えました。それはホームズの「死」によるものではなく、ドイルが「もう書くのをやめたい」という気持ちが、露骨に作品から出ているからでしょう。発表当時の読者たちの抗議も、むべなるかな。
 それだけに、『バスカヴィル家の犬』(1902)は、そんな読者たちの思いに充分答えた、と思える出来栄え。今回読んだ印象としては、全体を覆うホラーの雰囲気で、ダートムアという土地の空気か、魔犬伝説という題材ゆえにか。『フランケンシュタイン』『吸血鬼ドラキュラ』『ジキル博士とハイド氏』を、英国古典ホラーの三大傑作、と称することにはもちろん異議ありませんが、ぼくは『バスカヴィル』を入れて四大傑作としてもいいように思いました。
シャーロック・ホームズの生還』(1905)は、再開したシリーズにドイル自身が大いに乗っているように感じました。短篇が粒ぞろいという点からいえば、本集をおいてないという印象です。
 今回、読み返していちばん面白かったのは、『恐怖の谷』(1915)で、事件の捜査に徹した第一部の「本格ミステリ」ぶりも見事ながら、過去のアメリカに舞台を移す第二部で一転、犯罪組織と闘う快男児の活劇となるのも、また楽しい。『緋色の研究』では読み返すたび「あれれ?」と思ってしまうのですが、こちらではやはりドイルも巧くなったのでしょう、そんな気持ちにもならず物語そのものを楽しむことができました。
シャーロック・ホームズ最後の挨拶』(1917)は、長めのエピローグという印象。「最後の挨拶」で、久しぶりにワトソンと顔を合わせたホームズが、彼とワインを酌み交わすくだりに、そろそろと幕を下りていくさまを感じました。
シャーロック・ホームズの事件簿』(1927)は、拾遺篇とでもいうべきでしょうか。が、書くのが嫌で一度は死なせてしまったホームズへの、ドイルへの愛着が、本集ではあちこちに見えるようです。『緋色の研究』から40年ほどの、作者と作中人物の付き合いのこと、愛着はあって当然なのでしょうが。拾遺という印象はありながら、「ソア橋の難題」のような秀作、「這う男」のような怪作があるのも楽しいところです。
 ネタを知っていても、どれが名作でどれが不出来か知っていても楽しく、その楽しさは何度読み返しても変わらない。この9巻を読んでいるあいだは、実に幸せな時間でした。そして、本が手元にあるかぎりその幸せを何度も味わえる、と思うと、しんそこ嬉しくなります。