「堕天使」がわかる/「世界の魔法使い」がわかる

 畏友・森瀬繚氏の近著です。
 悪魔事典といった観の『「堕天使」がわかる』は、坂東真紅郎、海法紀光の二氏、オカルティスト紳士録の趣ある「『世界の魔法使い」がわかる」は、静川龍宗氏との共著。ともにソフトバンク文庫から、7月に出たばかり。
 一見、最近多い雑学文庫のようで、出版社も本作りにあたってそのようにディレクションした、という印象。だから読むほうも、そのつもりで付き合うだけで、とても面白いのだけれど、驚くのは情報量の多さ。これだけ多くのことがらを、さらっと読める二、三ページの記事にまとめてしまうのだから、すごい。「博引傍証」と「読みやすさ、楽しさ」の両立ということで、まず思い出すのが荒俣宏氏の著作なのだけれど、このニ著は題材が題材だけに、澁澤龍彦の『黒魔術の手帖』や『妖人奇人館』をも連想させる。
 魔王サタンからルシフェル、ベルゼブブらを語りながら、なぜ「悪魔」でなく「堕天使」と呼ぶのか、というのが前者の核たる部分で、ぼくはそこに、善悪をはっきり分けるキリスト教から逸脱した、異国の曖昧なものを感じるのだけれど、そこからヨーロッパ文化と異文化との、歴史的な関わりが見えてくるように思う。すると、「ソロモンの七十二柱」にそろい踏みした異形のものどもから、異国の風土や宗教、生き物に触れたヨーロッパ人の驚きが、かいま見えてくる。
 後者ともなると、マーリンやプロスペローといった、伝説や物語に登場する魔法使いにはじまり、悪魔教会のラヴェイにいたるのだけれど、宗教や科学、哲学や芸術などを跨ぎ越して、独自の才知や思考をもって生きた人々の逸脱ぶりが、読むうちに愛おしくさえ思えてくる。こと近世の章では、哲学者デカルト、科学者ニュートン、詐欺師カリオストロ、音楽家モーツァルト、放蕩児ダッシュウッドといった、普通は会することのなさそうな面々が「魔術」というキイワードでつながり、肩を並べているわけなのだが、つながりは「魔術」だけではなく「逸脱」でもあったのだな、と気づかざるをえない。
 オカルトがらみのエピソードを楽しむ雑学本としても、ファンタジーやホラーのネタ本としても楽しいこの二冊、読み込んで解きほぐしていけば、西洋史の思わぬ一面が見えてくることでしょう。