京都宵 異形コレクション

 アンソロジーが好きで、こと英米のホラーのものは、原書を買いあさっていた時期があった。『幽霊世界』や『血も心も』、《妖魔の宴》シリーズなどのペーパーバックも持っているが、このように邦訳されたものはほんの一部。ジョー・R・ランズデール編のウェスタン・テーマのものや、ロバート・R・マキャモン編の吸血鬼テーマのものなど、未訳だが面白そうなものが、本棚の奥に今も眠っている。
 その頃に、《異形コレクション》という書き下ろしのホラー・アンソロジーが刊行されはじめた。原書を追いかけるのに加え、スティーヴン・キングをはじめ、海外ホラー長編の邦訳がさかんになっていたこともあり、創作まで手が回らず、初めて通読したのが第五巻『屍者の行進』だった。ジョン・スキップ&クレイグ・スペクター編の『死霊たちの宴』とほぼ同時期に刊行され、「ゾンビ・アンソロジーの日米競作」と言われていた。この巻を一読して驚き、それから《異形コレクション》を、出るたびに買うようになった。だいたいは買ってすぐに読んでいる。思えば、ずいぶん長い付き合いになったものだ。

 さて。《異形コレクション》第四十一巻のテーマは、京都。場所がキーワードになることはこれまでにもあったが、実在する土地がテーマになるのは、はじめてだろう。
 収録の十九編を、どれも楽しく読んだが、ちょっと気になったところがある。京都という土地に生まれ育ったり、生活したりしている人や、この地に強く心惹かれている作者と、題材として冷静に京都を扱っている作者とでは、作品の温度に差が生じているような気がするのだ。読むうちに、この田舎者に京都の「温度」や「空気」を感じさせ、京都を夢見させてくれる作品と、京都が舞台なのだな、という印象にとどまる作品に、はっきり二分されるように思える。
「温度」や「空気」、京都の「匂い」を感じさせてくれたのは、まず巻頭の三篇。菅浩江おくどさん」の、京言葉の一人称。入江敦彦「テ・鉄輪」では、町家カフェという最近のアイテムと「鉄輪の井戸」。加門七海「くくり姫」では、住居としての町家と、白山神社と、水引細工。作品の面白さももちろんだが、生活や、会話や、土地の信仰に、強く心惹かれた。
 井上雅彦「宵の外套」は戦前に、森真沙子「魔道の夜」は終戦後に、この地の闇に潜んだ「魔」をそれぞれ登場させているが、その一方でトリを飾る赤江瀑「水翁よ」には、『今昔物語』にも語られ今も棲みつづけている「魔」が現れる。京に魅入られ、山口にそのまま再現しようとした大内一族を描く朝松健「「西の京」戀幻戯」の鮮烈な結末を読むと、京都という土地そのものが「魔」なのではないか、などと妄想が膨らんでしまう。
 藤田雅矢「釘拾い」の、地元の人らしい味わい。ひさうちみちお「京都K船の裏の裏 丑覗きの会とはなにか」の怪しさと可笑しさ、その向こうにある妙な現実感。五代ゆう「常夜往く」のイメージの絢爛さ。早瀬れい「夢ちがえの姫君」の色彩感。さらに、フジワラヨウコウのイラストレーション。いずれも忘れがたい。
 でも、京都に旅行するときは、迂闊にこの本を持っていってはいけないような気がする。この中の誰かが想像した世界に、うっかり踏み込んでしまいそうだから。

『京都宵 異形コレクション井上雅彦監修 光文社文庫 2008
 カバーデザイン:泉沢光雄 写真:SHIGEKI KAWAKITA / SEIBUN PHOTO
http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334744755