星新一『ボッコちゃん』など

 ふと思い立って、星新一の『ボッコちゃん』を読んでみた。

新潮文庫 2007年89刷(1971年初版)
星新一ショートショート」と聞くと、中学生くらいの頃に熱中したなあ、という人は多いことだろうし、ぼくもその頃、やはりよく読んだものだった。が、二十代くらいになると、「小説って、こんなにすっきりしてていいんだろうか」と思って、より「すっきりしない」小説を読むようになり、星作品とはだんだん疎遠になっていったように思う。
 だが、四十代になって読み返した『ボッコちゃん』は、十代のときに読んだ同じ本とは思えなかった。アイデアやオチを覚えていた作品も多かったし、簡潔でありながら洒脱で、飄逸にさえ思える文体も、記憶にあるとおりだった。だが、印象は大きく違っていた。
 他の「大人の小説」と違って、星新一ショートショートには面倒くさいことが書かれていなくて、とっつきやすい。十代の頃は、そう思って読んでいた。が、今読み返して気づいた。もっと長く書いてもいい小説を、絞りに絞り、削りに削って、清酒用の米くらいに磨いて簡潔にした結果、「ショートショート」になったのだ。と思ったら、この本の解説(筒井康隆)が、「ストイシズム」という言葉を核にしているので、目から鱗が落ちたように思った。
 勢いづいて、さらに二冊読む。

『ようこそ地球さん』新潮文庫 2005年71刷(1972年初版)

悪魔のいる天国』新潮文庫 2008年79刷(1975年初版 初刊1961年中央公論社
 続けて読んで気づいたのは、星新一という人の、発想の自由さと豊かさ、視野と関心の広さだった。御本人は『ボッコちゃん』のあとがきで、ミステリ、SF、ファンタジイ、童話、寓話への関心を語り、それらに関心を抱く自分を「あやしげな作家」と言っている。「あやしげな作家」は、一般的にはSF作家として知られている。が、ぼくは「計り知れない作家」だと思った。
 十代のとき読んだ、短くて楽しい物語は、二十代のときには子供じみているように思えた。三十代では思い出の片隅に片付けられていたが、今読み返して、はじめてその味わいの深さに驚く。「月の光」のエロティシズム。「鏡」の残酷さ。「霧の星で」のエゴイスティックな愛と、「愛の鍵」の温かな心。「帰郷」の哀切さ。気軽につまめる気のきいたお菓子だと思っていたものが、実は一口大でも複雑微妙な味わいのある、手の込んだ一品料理だったことに、はじめて気づいた思いでいる。
 これから、疲れて心がささくれ立っているようなときには、星さんのショートショートを読むことにしよう。短い物語を通して。人の心が持つ自由さ、豊かさに、あらためて気づくことができるだろうから。
星新一公式サイト
http://www.hoshishinichi.com/index.html