カシタンカ・ねむい 他七篇

 子供の頃、大好きだったお話があった。小学校の図工の時間で「お話を読んでその場面を描く」という課題が出たときに、絵に描いたほど好きで、どんな話かというと、飼い主とはぐれた犬が不思議な冒険をする、といったようなものだった。耳が大きくて肢の短いその犬の名が、カシタンカだったことを覚えている。
 大人になってから、犬の名前そのまま「カシタンカ」という題名のその話を書いたのが、チェーホフだと知った。「かもめ」のチェーホフが、あの奇妙な犬の話を書いていたとは、少々意外に思いもした。
 その「カシタンカ」を含めたチェーホフの短編集が岩波文庫から出ていたので、読んでみた。『カシタンカ・ねむい 他七篇』で、訳者は神西清
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/32/2/3262350.html
「カシタンカ」は、前に読んだとき小学生だったというのに、読み返しながら記憶をたどってみて、覚えていたとおりだったことに驚いた。ただ、子供の頃は、この結末の、もの寂しいような「そっけなさ」には気づかなかった。
 この本で驚いたのは、もうひとつの意外な再会があったこと。十代の頃、「牡蠣を殻まで食べようとした少年」と絵に描いてみたくなるほど奇天烈な姿の「海の怪物」のことを書いた小説を紹介した誰かのエッセイを読んだことがあり、誰が書いたか、どんな小説なのか、長らく気になっていた。それは、この本に入っている「かき」という掌編だった。ここでようやく読むことができたのだが、おかしくて、ちょっとホラーっぽくて、ものがなしいお話だった。短いので、御興味がおありの方は、まずこれだけ立ち読みしてみるのもいいかもしれない。面白いし、他の短篇も読みたくなるだろうから。
 他の短篇も、味わいが多彩で、続けて読んでいても飽きがこない。題名からして落語みたいな「富籤」や、エキセントリックで冒険好きな男の子が騒動を起こす「少年たち」のような、ユーモラスなものもあるし、酷使される少女の悪夢をそのままに描いた「ねむい」というこわい話もある。美しく愚かで強欲な「アリアドナ」に振りまわされる語り手の気弱さ、だらしなさに、苛立ちを楽しむことさえできる。
 この本では、訳者にもスポットライトが当てられている。訳者によるチェーホフ論二篇のうち、「チェーホフ序説」は、知識のないぼくには歯が立たなかったが、「チェーホフの短篇について」は、創作法を音楽になぞらえるなどして興味深く、文庫の解説として面白く読んだ。神西敦子「父と翻訳」からは、文学者としての翻訳者の立ち位置が見えるようだし、川端香男里「美しい日本語を求めて」は、本書のみにとどまらない翻訳論として、短いがとても有益だ。
 神西清の訳文は平明で、美しい。ロシアの話なのに「味噌汁」とか「牛鍋」とかいう言葉が出てくるのは、あとで「あれっ?」と思いはしたけれど、文章そのものが端整だからだろうか、読んでいるあいだは気にもならなかった。そういうのは翻訳された時代ゆえのもの、と、楽しんでしまうのが一番なのでしょう。
『カシタンカ・ねむい 他七篇』収録作品/「嫁入り支度」1883、「かき」1884、「小波瀾」1886、「富籤」「少年たち」「カシタンカ」以上三篇1887、「ねむい」1888、「大ヴォローヂャと小ヴォローヂャ」1893、「アリアドナ」1895