ロビンソン漂流記

 有名だが読んでいないというか、有名すぎて読んだような気になっているというか。そういう本が、自分にはけっこうあると気づいて、最近は思い出した先から読むようにしている。
 デフォーの『ロビンソン・クルーソー』は、その中でも筆頭で、真っ先に読みそうなものだけれど、有名すぎるからか、しばらく食指が動かなかった。ところが、書店に行くと、新潮文庫の薄い『ロビンソン漂流記』と、岩波文庫の『ロビンソン・クルーソー』上下巻とがある。ヘンだなあ、と思ってためつすがめつしてみたら、無人島生活の物語は正篇で、帰国後のロビンソンがあらためて諸国を巡る続篇があり、岩波文庫は正続を併せた翻訳である、とわかった。
 今回、正篇のみの新潮文庫を選んだのは、まずはかの有名な無人島ひとり暮らしの物語を読みたかった、というのもあるし、半世紀を超えるロングセラーぶりもあるのだが、もう一押し、訳者である吉田健一が、翻訳にあたり原書を大仏次郎から借りた、と「訳者あとがき」に書いていたから。面白い御縁です。
 さて。有名なだけに面白くないわけがない、とは思っていたが、こんなに面白いとは思わなかった。
 なんといっても、主人公ロビンソン・クルーソーの人となりからして、面白い。親の意見や将来設計より、まだ見ぬ遠い世界へのあこがれが強く、深い考えもなしに旅立って、苦労はしても前向きで、転んでもただでは起きない。信心深くはあるけれど、困ったときくらいにしか神様に祈らない適当さ。18世紀の人なのに、なんだか身近にいそうだ。そんな彼が無人島に流れ着くまでが、この文庫で50ページあまりだが、その短さですでに冒険また冒険の、まさに波瀾の半生。その波瀾に富んだ前振りがあるから、その後の無人島生活のさまが、平穏ではあってもまた別の「冒険物語」として、さらに面白く読める。
 遭難したのが貿易船だから、沈みきる前に無人島と暗礁の間を何往復もして、使えそうなものを集めてくる。銃や火薬があるのは幸運、けっこう物のある生活になるのだが、それでもないものはない。だから頭と手と時間を使う。いかにしてパンを焼くか。野生の山羊を飼いならすにはどうすればいいか。淋しいときやくじけそうなときはどうするか。徐々に向上していく生活のさまは、読みすすめるほどに、わくわくしてくる。
 終盤、自分のものではない足跡を発見してから、物語は速度を増す。生活そのものが冒険だったロビンソンが、勇を奮って別の「冒険」に足を踏み入れる。そこからが、またさらに面白い。スティーヴンスンやヴェルヌも読んでわくわくし、『宝島』や『十五少年漂流記』を書くさいにも、その「わくわく」を思い出したのではないだろうか。
 有名だから、というだけで読んだ気になっているのが、どれだけもったいないか、あらためて感じた一冊だった。まだまだ、こういう本は多いことだろうから、楽しみは長続きしそうだ。

『ロビンソン漂流記』ダニエル・デフォー 吉田健一訳 新潮文庫 2008年73刷(1951年初版)
THE LIFE AND STRANGE SURPRISING ADVENTURES OF ROBINSON CRUSOE by Daniel Defoe, 1719