心霊博士ジョン・サイレンスの事件簿

 1908年に刊行された、アルジャナン・ブラックウッドによるオカルト探偵ものの古典。コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズの生還』が1905年の刊行であり、やはりジョン・サイレンスにも、どこかしらホームズの影が見えるような印象を受けた。ホームズも、本作に先駆けること六年の1902年には『バスカヴィル家の犬』事件で、伝説の魔犬と闘うというオカルト探偵さながらの活躍を見せているし、サイレンスはドイルと同じ開業医、などと共通項を列挙することもできそうだが、挙げてみていたずらに長くすることもないだろう。
 ホームズの後に続いた同時代の名探偵、いわゆる〈ライヴァルたち〉の多くが、懐古的な楽しみを残すばかりなのに、一連のジョン・サイレンスものが、時代が付いてはいても古ぼけていないのは、やはりミステリではなく、M・R・ジェイムズやアーサー・マッケンと並ぶ英国ホラーの作家だからなのだろうか。また、中篇が多く、アイデアよりもストーリーで読ませるあたりも、強みかもしれない。サイレンス博士がどういう人なのか、なぜ怪奇事件のスペシャリストなのか、謎のままにしているあたりも、読者の想像を刺激するようだ。
 ひとつ気づいたのは、連作六篇のうち四篇までが、フランス、エジプト、ドイツ、スウェーデンと、外国を舞台にしていたり、外国がからんでいたりすること。それなのにホームズもののように、英国の植民地の話は出てこない。このあたり、踏み込んでみると面白いことが見つかりそうな気がする。

「霊魂の侵略者」A Psychical Invasion ……サイレンス博士御紹介、といった印象の小品だが、彼の医師としての思想が語られているのと、博士の調査方法がブルワー=リットンの「幽霊屋敷」(これもオカルト探偵ものだ!)に似ているところが面白い。残念なのは、本作で重要な役割を果たす博士の犬と猫が、これ以降は登場しないことか。
「いにしえの魔術」 Ancient Sorceries ……有名な作品。フランスの田舎町に漂う異国情緒と、猫という獣が持つどこか幻惑的な空気が、見事なホラーを作り出した。
「炎魔」 The Nemesis of Fire ……屋敷の高温と謎の失火に悩まされる退役軍人からの依頼。探偵小説らしいプロットに加え、ことに活動的な博士につぃて助手ハバードが語るあたり、ホームズものに通じる楽しさがある。
「邪悪な祈り」 Secret Worship ……黒魔術ものの古典。博士の描き方に、いかにも名探偵、という演出があるのが面白い。
「犬のキャンプ」 The Camp of the Dog ……獣のいないはずの孤島を徘徊する巨犬の謎。休暇を島でのキャンプ生活で過ごすハバードは、博士に助けを求める。読んでいるあいだじゅう『バスカヴィル家の犬』を思い出していたが、アミニスティックな要素が濃いのはいかにもブラックウッドか。
「四次元空間の囚」 A Victim of Higher Space ……孤独な数学者が迷い込んだ異次元世界の怪。博士の診察室だけが舞台の、なんとも奇妙な一篇。
 本書は新訳だが、漢語を効果的に使う訳文は、切れが良いうえに安定感があって、このような古典怪奇小説にはとてもよく合うように思う。また、ブラックウッドとオカルティズムの関わりや、ジョン・サイレンスという名前の謎にも触れた解説も、実に面白い。

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『心霊博士ジョン・サイレンスの事件簿』アルジャナン・ブラックウッド 植松靖夫訳 朝松健解説 創元推理文庫2009
 JOHN SILENCE: PHYSICIAN EXTRAORDINARY by Algernon Blackwood, 1908
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