法人類学者デイヴィッド・ハンター

 最近「翻訳ミステリが売れていない」と耳にすることが多い。海外の小説が売れないという本屋さんのぼやきは、昔から聞いてきたものだけれど、あの頃はミステリはロマンス同様、まあ別枠かな、という扱いだったような気がする。
 最近、書店を見て回ると、なるほどそうかもしれない、というような空気を、たしかに感じる。ぼくは、ミステリといえば海外のものだと思ってきたものだから、このまま淋しくなってしまうのは嫌だけれど、何かできるというわけでもない。せめて、ちゃんと書店で買って読み、面白いものに出会ったら、このブログで紹介していきたい、と思う。

「法人類学」というのは馴染のない言葉だ。文科系のぼくなどは、「人類学」というと頭に「文化」とつけて、風俗習慣や生活形態を調査するものか、などと思い込んでしまう。本書の訳者あとがきは、人類学とはどのようなものかを、短く、かつ的確に解説してくれているから、ぼくみたいな読者には、勉強になる。人類を知るための多様な学問のうち、生物学的なアプローチをする「形質人類学」を、犯罪捜査などに応用するものが「法人類学」だと、とらえておけばわかりやすいだろう。
 本書の主人公である法人類学者、デイヴィッド・ハンターは、死体の腐敗の進行ぶりや、それにたかる蠅の羽化の過程、土壌の成分などから、事件を読み解いていく。その異能ぶりは、〈検屍官〉ケイ・スカーペッタよりは、〈スケルトン探偵〉ギデオン・オリヴァーに近いようだ。いや、二人のいいとこどりをした、新たな名探偵の登場、というべきか。
(ミステリに登場する「法人類学者」は、先立ってキャスリーン・レイクス(キャシー・ライクスの表記もあり)の〈法人類学者テンペ・ブレナン〉シリーズがあったことを知った。TVドラマ『ボーンズ』の原案になった、ということで、こちらも読んでみたい。)
 かつてはロンドンで犯罪捜査の第一線にいたハンターは、訳あって今は田舎町で開業医の手伝いをしている。ところが、ある夏の日に変死体が発見され、知人の女性が行方不明になっていると知ってから、地元警察に協力せざるをえなくなる。猟さながらに、いたるところ人間相手の罠をしかける犯人。捜査を阻む、田舎町ゆえの閉鎖性や、よそ者への偏見。そんな状況のもと、ハンターは一度は封印した能力を発揮し、真相に迫っていく。
 科学捜査への興味はもちろんだが、ロマンスも交え、ツイストを効かせた解決まで緩急よくひっぱってくれるプロットも面白く、一息に読み終えてしまった。この特異な主人公は、次の作品でさらに活躍するのだろう、と思うと、引き続き読みたくてたまらない。
 翻訳が続くことを祈りつつ、ここで紹介する次第。

『法人類学者デイヴィッド・ハンター』サイモン・ベケット 坂本あおい訳 ヴィレッジブックス 2009
THE CHEMISTRY OF DEATH by Simon Beckett, 2006
http://www.villagebooks.co.jp/books-list/detail/978-4-86332-123-6.html

 メモまでに。本作は2006年の英国推理作家協会「ダンカン・ロウリー・ダガー」賞の候補に挙げられた。同年の受賞作は、アン・クリーヴス『大鴉の啼く冬』。ローラ・ウィルソン『千の嘘』も同年の候補作。