濃紺のさよなら

 大きな書店で「ポケミス」、つまりハヤカワ・ミステリの棚を見ると、安心する。文庫だと、今ではもう二、三年しないうちになくなってしまうミステリはざらにあるのだが、ポケミスで出たものは、十何年か前に出た本でも棚におさまっていることが多いからだ。それを見るたび、書店勤めのころに聞いた「本に新しいも古いもない。書店ではじめて出会った本なら、それはその人にとって新しい本なんだ」という言葉を思い出す。
 この『濃紺のさよなら』も、ぼくにとっては、そんな「新しい本」だ。初版は1967年、ぼくよりは少し年下。手に入れた第三版でも1994年の発行で、十五年前のものということになる。
 長い作家生活を送ったマクドナルドの作品を、ぼくは『ケープ・フィアー 恐怖の岬』しか読んでいない。アメリカでは大変な人気作家で、スティーヴン・キングも愛読したことも、トラヴィス・マッギーというヒーローが登場するシリーズで有名だ、ということも知っていたのだが。
 ふと目についてタイトルに惹かれた、この『濃紺のさよなら』は、そのトラヴィス・マッギーものの第一作。さっそく読んでみて、ぐいと引き込まれ、そのまま一息に読み終えてしまった。思い出せば、マッギーという男、ミステリの入門解説書の名探偵紹介ページなどでは、ヨットに住んでいるタフなプレイボーイ、といったような書き方をされていて、十代のときは、そんなキャラクターにはぴんと来なかったので、読まなかったような気がする。それはむしろよかったんじゃないかな。このシリーズ、どうもティーンエイジャー向きではなさそうだから。
 女友達の同僚が、怪しげな男に篭絡され、死んだ父親が隠していた財産をそっくり奪われてしまった。その男アレンを捜し、彼が盗んだものを取り戻してほしい。仕事は金が尽きたときにしかしたくない、と思いつつ、重い腰を上げたマッギーは、思いもよらぬほど根の深いこの事件と、アレンという一種、怪物のような男に、立ち向かわざるをえなくなる。
 単純そうに見える事件のあちこちに小さな意外性をちりばめながら、サスペンスの大きな流れに読者を乗せていく展開は、まさに職人芸。そう、本物の職人芸にある、深みや手ごたえを感じる。クライマックスは壮絶なアクションで、そのあとには胸にせまる結末が用意されている。都会的な冒険小説というべきか、ことにアクティヴなハードボイルドというべきか。いや、ジャンルを定める必要はない。そんなことを気にするいとまもない面白さなのだから。
 トラヴィス・マッギー・シリーズはポケミスでいくつか邦訳されていて、ほかの出版社からも少し出ているようだ。ほとんどが絶版のようなので、古本屋でぼちぼち探すことにしようか。それとも、ペーパーバックのほうが手に入れやすそうだから、原書で読んでみようか。そんな気持ちにさせてくれる作家には、久しぶりに出会った。なるほど、本は古くても、ぼくにとってこれは、新しい出会いだ。

『濃紺のさよなら』(ハヤカワ・ミステリ1004)ジョン・D・マクドナルド 深町眞理子訳 早川書房1994(初版1967)
THE DEEP BLUE GOOD-BYE by John D.MacDonald, 1964