D・アリグザンダーの《新聞記者ハーディン》シリーズ

 何年か前に、デイヴィッド・アリグザンダーの『恐怖のブロードウェイ』を読んで、とても面白かったのを憶えている。《ブロードウェイ・タイムズ》の記者バート・ハーディンが、〈ウォルドウ〉と名乗る連続殺人鬼に恋人を殺され、その正体を追うという、一見したところ軽めのスリラーのような物語は、実は細部にまで計算の行き届いた本格ミステリだったからだ。加えて、どこかデイモン・ラニアンの作品を思わせる登場人物たちが生き生きと描かれているのも印象深い。前後して読んだ短篇集『絞首人の一ダース』(定木大介訳 論創社2006)も佳品ぞろいで、この1950年代の作家は、記憶に強く残った。
 元プロボクサーで、くたびれたトレンチコートの下に派手な花柄のベストを着たバート・ハーディンは、アイリッシュ・ウィスキーとギャンブルを好み、行く先々で必ず事件と美女に出会う。そんな彼が活躍するミステリは、以下の8長篇があるらしい。

Terror on Broadway (1954) 『恐怖のブロードウェイ』中田耕治訳 ハヤカワ・ミステリ360(1958)
Paint the Town Black (1954) 『街を黒く塗りつぶせ』向後英一訳 ハヤカワ・ミステリ877(1965)
Shoot a Sitting Duck (1955)
The Murder of Whistler's Brother (1956)
Die, Little Goose (1956)
The Death of Humpty Dumpty (1957)
Hush-a-Bye Murder (1957)
Dead, Man, Dead (1959)
(参考:http://www.thrillingdetective.com/eyes/bart_hardin.html

『街を黒く塗りつぶせ』がなかなか古本屋で見つけられないので、邦訳されていないのはどうだろう、と思って、原書を何冊か手に入れてみた。三作ばかり読んでみて、それぞれそれなりに面白いところがあるので、ちょっと書き留めておきたい。


Die, Little Goose
 バートがカジノでカードの勝負を楽しんでいるところに、天才ダンサーとして名高いエイドリアン・テンプルが、青ざめた顔で駆け込んでくる。「今しがた、妻を刺し殺してしまった!」 旧知のロマノ警部補のところにテンプルを連れていくと、たしかに彼の妻ダフネは殺されていた。だが、凶器は拳銃。現場には元女優の大家、エイドリアンのパートナーの若いダンサー、腹話術師、メキシコ人の奇術師、そしてバートの父の友人だった老俳優レノックスがいた。容疑はレノックスにかかり、バートは彼の潔白を信じて真犯人を追う。現場に舞っていた鵞鳥の羽毛は何を意味するか?
 犯人当てものか、と期待させる出だしだが、中盤からなしくずしにサスペンスに変わってしまい、犯人の自白で謎が解けるという残念な出来。それでも、ショービジネスの世界に生きる人々がコミカルに描かれているところは楽しかった。


The Death of Humpty Dumpty
 大晦日。恋人でナイトクラブのダンサー、ジーナと新年を待っていたバートだが、向かいのホテルの最上階から人が落ちるのを目撃する。落ちたのは、ジーナと同じクラブのステージに立つコメディアン、ハンプティ・ダンプティ・ヒューズ。だが、彼は生死もわからないまま消失してしまう。
 エドワード・D・ホックの「長い墜落」を思わせる発端といい、章の合間に挿入される登場人物たちの謎めいた独白といい、わくわくさせてくれる。が、ジーナがハンガリー動乱のさいにブダペストから亡命してきたことが明かされる中盤から、スパイ・スリラーみたいな話になってしまう。編集者の無理な注文に応じて、物語の流れを途中で捻じ曲げたような印象。そのうえ、謎の面白さに対して解決はあっさりしすぎ。それでも、最後まで退屈させないのには感心する。


Hush-a-Bye Murder
 俗悪なスキャンダル雑誌《ブラッシュ》のライターとして悪名高いビーチャー。高額の報酬で《ブラッシュ》への情報提供を持ちかけられ、彼を追い返したバートだが、亡き旧友の妻で女優のキャロラインも、《ブロードウェイ・タイムズ》の社主スレイドも、彼に弱みを握られ、脅されていると知る。金でかたがつく話なら、と言うスレイドの代理人として、バートはビーチャーを訪ねるが、彼は射殺されていた。傍らにはキャロラインのハンドバッグ。彼女がビーチャーを殺したのか? バートはハンドバッグを持ち去り隠すが、刑事ターリーは彼を犯人と確信し、つきまとう。バートは自分とキャロラインの潔白を証明するため、必死に犯人を捜す。
 恐喝を楽しむビーチャー、暴露は社会正義であると公言する《ブラッシュ》の社主クレイル、法の番人を自認しながら、その実ストーカーであるターリー。それぞれが、ややデフォルメされてはいるが、なかなかに凄みがあるキャラクターだ。そして、ゆがんだ男たちと関わらざるをえなかった女たちの悲しみと、内に秘めた強さも描かれている。物語がストレートなだけに、サスペンスは強い。今回読んだ三作のうちでは、いちばん面白い。
 このシリーズ、レギュラーで登場する脇役もいる。ロマノ警部補の部下グリアスン刑事。《ブロードウェイ・タイムズ》のグラマラスな受付嬢バーサ。着道楽で文学好きな弁護士マーティ・ランド。お約束の役柄ながら、それぞれの出番が少しずつあるのも楽しい。

 これらの作品は、おそらく邦訳されることはないだろう。出来としても、『恐怖のブロードウェイ』には遠く及ばない。だが、キャラクターといい、軽妙で飄逸な会話といい、読んでいるあいだは楽しいものだった。
 なお、この三作、タイトルから想像して、どれかが童謡殺人ものではないか、と思って選んだのだが、三作ともそうではなかった。The Death of Humpty Dumpty が、ちょっと絡んでいるくらいか。
 
*画像の一部は、SARATOGA BOOKS のサイトから拝借しました。
http://www.saratogabooks.com/shop/saratoga/index.html?id=EGKaSCMM