吸血鬼ドラキュラ

『吸血鬼ドラキュラ』平井呈一訳、創元推理文庫。長い付き合いの本だ。
 十代の頃、初めて読んだ。古本屋で二十円で買った、ジャケットのない本。「やたらに長くて古めかしい話だな」と思った。
 二十代の頃、コッポラの『ドラキュラ』を見た帰りに、綺麗なジャケットの新しい本を買った。シンプルな勧善懲悪の話だな、映画のほうが好きだ、と思った。
 若い頃の印象は、このようにさして良くはなかったのに、何度も読み返している。読み返すたびに、面白くなってくる。長い付き合いの本はほかにもあるのに、こんなふうに思えるのは、この『吸血鬼ドラキュラ』だけだ。
 不死の魔人ドラキュラが跳梁する怪奇小説。その魔人を滅ぼさんと、ヴァン・ヘルシング教授らが活躍する探偵小説、もしくは冒険小説。それだけでも充分すぎるほど面白いのだが、子供の頃の印象そのままで、その筋を語るだけなら、この小説は長い。
 なぜ長いか、というと、日記や手紙、新聞記事、電報など、記録の集積で語られているからだ。そして、それぞれに書き手がいるからだ。だから、書き手一人一人の個性が反映される。弁理士ジョナサン・ハーカーの日記には、東欧の地理や風俗をはじめ、郷土料理や伝説までが記されている。彼の婚約者ミナ・マリーの手紙や日記からは、彼女が職業婦人であり、「新しい女」であることを意識し、速記やタイプライターから鉄道に至るまで、新しいものに関心を抱いていることがわかる。口述を蝋管録音した精神科医セワードの日記からは、十九世紀末の精神医療がどのようなものだったかがうかがえる。
 トランシルヴァニアとロンドン、対照的な二つの土地を結ぶ怪奇と冒険の物語は、フォークロアから先端技術までをも共に語る情報小説でもあった。そう思うと、アメリカの快男児キンシー・モリスが手にする銃器や、ヴァン・ヘルシング教授がドラキュラの被害者ルーシー・ウェステンラに試みる処置や、船や馬車を用いた当時の貨物輸送にまで、興味が広がっていく。まだまだ、この物語を読み返す楽しみは、尽きそうにない。
 あらためて思うのは、平井呈一の翻訳の、名訳というよりは名調子ぶりで、漢語からオノマトペまで多彩な言葉を自在に操り、台詞まわしには歌舞伎の香りさえ感じられる。訳者がいくぶん前に出すぎか、と思わなくもないが、この名調子もまた、繰り返し味わいたいものだ。
『吸血鬼ドラキュラ』ブラム・ストーカー 平井呈一訳 創元推理文庫 2006年41版(1971年初版)DRACULA by Bram Stoker, 1897
東京創元社HP『吸血鬼ドラキュラ』http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488502010