都筑道夫の読ホリデイ

《ミステリマガジン》の1989年1月号から、2002年9月号までの長きにわたる連載「読ホリデイ」をまとめたもので、小森収さんの解説から引用すれば「都筑道夫の最後の書評集」であり、「最晩年の仕事」である。
 連載当初、ぼくは《ミステリマガジン》を購読していたが、この「読ホリデイ」のページは、あまり熱心に読んではいなかった。今思うと都筑さんには失礼なのだが、読んだ本のことを忘れてしまった、とか、体調が良くない、とか書いている様子が、なんだか「老いの繰言」のように思えたからだ。言い訳とは承知で書いておく。当時ぼくは二十代半ば、父よりもやや年長の都筑さんの言葉を、まっすぐ受け止めることはできなかったし、年老いる、ということ自体が怖くもあったのだ。『黄色い部屋はいかに改装されたか?』で、ミステリの可能性と未来を論じた都筑さんが、ぼやいてばかりいる爺ちゃんになってしまった、としか思えなかったのである。
 だが、四十代の今、雑誌連載でなく通しで読んでみて、驚いた。書評とかエッセイとか、はっきりした枠のない、いわば「読書日記」のような書き方なのに、場当たりでも好き放題でもなく、背筋が伸びている。まっすぐ通った強いものがある。「忘れた」という言葉も、韜晦としか思えないほどに。
 読んだミステリの、ストーリーの巧みな要約。筋運びや登場人物の描き方を捉える目。訳語の使い方、文章の組み立て方への鋭い指摘。編集者、作家、翻訳家、評論家と、切り口によって違う顔になるかもしれないけれど、どこを切っても都筑さんが出てくる。面白さの勘所をおさえながら、ネタを割ることのないように物語を紹介し、翻訳にも、ただ良し悪しを挙げるのではなく、拙いものには、どこをどうすればより良い翻訳になるかを指摘する。そのように、上下巻約900ページのいたるところに、人一倍ミステリを愛した都筑さんから、ミステリを愛するすべての人々に宛てたメッセージが、込められている。
 だからこそ、こと連載も終わりに近くなると、御自身の健康や奥様の急逝といった個人的な事柄が、読んでいて胸に痛い。後半のほうで、ぼくがした小さな仕事の一、二について、都筑さんが目を留めてくださっているのに気づき、連載時に《ミステリマガジン》編集部気付でお礼の手紙を出しておけばよかった、と後悔もして、これにも胸が痛む。いや、お詫びやお礼は、いずれあの世でお会いしたときにさせてもらおう。ぼくもまだしばらくは生きているつもりだから、その前にしておくことがありそうだ。
 そのためにも、この本に込められた都筑さんのメッセージを汲んで、生かしていきたい。

都筑道夫の読ホリデイ』(上下)都筑道夫著 小森収編集 平野甲賀装丁 フリースタイル 2009
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