スティーヴン・キング『悪霊の島』

 読んでいるあいだに、昔のことを思い出した。
 探しても探しても見つけられなかった『シャイニング』が文庫になったときは、狂喜しながら飢えたように読みふけった。
 長らく邦訳を待っていた『IT』の、巨大な上下巻を抱えて帰り、コーヒーをかぶ飲みしながら、まる一昼夜かけて読み通した。
 あのときの興奮が、怖れが、愉しみがそのまま、ここにもある。上巻の帯にあるとおり、恐怖の帝王が帰ってきたのだ。

 キングの1970年代の代表作が『シャイニング』であり、1980年代には『IT』があったように、二十一世紀初めの代表作として、この『悪霊の島』は位置するのだろう。ブラム・ストーカー賞の受賞も、ふさわしいと言うほかない。(なお、1990年代については、ぼくには読み落としも迷いもあるので、今は保留しておきます。)

 どんな話かは、本そのものが語っている。タイトル、帯、ジャケットの装画と袖の紹介文……まさに、「そういう話」だ。そして、非凡で巧緻きわまりない小説だ。たしかに長いが、饒舌なのではない。物語に必要な長さだ。読みだしたら止まらないし、読み終えたあとも、物語は胸のうちに長く、深く響く。
 ぼくは、その響きの中に、かつてキングが子供たちに向けた言葉を、再び聞いたように思う。

「子供たちよ、小説とは虚構(つくりごと)のなかにある真実(ほんとう)のことで、この小説の真実(ほんとう)とは、いたって単純だ――魔法は存在する」(小尾芙佐訳『IT』より)

 本作の主人公フリーマントルは、建設会社の社長だったが、現場の事故で片腕を失う重傷を負い、後遺症がもとで離婚にまで至る。療養のため、ひとり移り住んだ島で絵を描くことに目覚め、作品が評価されて新たに名声を得るが、同時にそれは、島に潜む「邪悪なもの」との戦いのはじまりでもあった。
 愛するもの、大切なものを失う恐怖に、彼は善なる「力」を得て立ち向かう。キングはこのような戦いを繰り返し物語にしてきたが、本作がひときわ強く輝き、深く響くように思えるのは、フリーマントルがひとり迎える最後の戦いの場面ゆえにだろうか。

 いや、これ以上、言葉を重ねるのはよそう。
スティーヴン・キングが、またひとつ傑作を書いた。そう書いておくだけでいいような気がする。

『悪霊の島』(上下) スティーヴン・キング 白石朗訳 文藝春秋 2009
DUMA KEY by Stephen King, 2008
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163285009
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163285108

【追記】本書の前に発売された短篇集『夕暮れをすぎて』も、実に面白い。原書を二分冊したうちの前半ということなので、後半が邦訳されたところで、感想を書いてみたいと思っている。