津野海太郎『したくないことはしない 植草甚一の青春』


 植草甚一さん、と、つい「さん」付けで呼んでしまうのだけれど、お会いしたことなどもちろんない。ただ、書いたものを読みはじめた十代の頃から、不思議な親しみを感じていて、かれこれ三十年あまり、勝手にそうさせてもらっている。
 図書館で《植草甚一スクラップブック》を借りて読んでいたのは中学生の頃。海外文学はもとよりミステリだって、大人の世界に近づきたくて背伸びして読んでいたのだし、ジャズもFMラジオで聞きかじったくらい。だから、読んではいても、どれだけわかっていたことか。でも、文章そのものがとても心地よかったし、本の装幀も恰好よかった。
 その後、飽きたり忘れたりで途切れ途切れではあっても、思い出すたびに夢中になって読み返した。《スクラップブック》復刻のさいには、持っている本もけっこうあったが、定期購読した。一昨年(2007年)には世田谷文学館の「植草甚一 マイ・フェイヴァリット」展を見にいき、洋書やLPレコードなどコレクションの一端や、オーダーメイドのスーツや生原稿に嘆息したものだった。
 理由はうまく言えないけれど、なぜか親しみを覚える。年長の友達のようで、「J・Jおじさん」という呼び名が、いかにもふさわしく思える。没後三十年の今でも、植草甚一という名前が書店の棚のどこかにあるのは、そう感じる人が大勢いるからだ、と思わずにはいられない。
 さて、本書は、晩年に親交の深かった編集者による、いわば“植草甚一伝”で、副題に「青春」と入っているけれど、生涯を通して書かれている。ならばなぜ「青春」なのか、と思うのだが、読むと納得する。もちろんミステリではないけれど、ある種の謎解きなので、これ以上は書けない。
 それにしても、植草さんが生涯にわたって、こと青年期に出会ったり、影響を受けたりした人々の多彩さには驚くばかりだ。村山知義の著書を通して知ったロシアやヨーロッパのアヴァンギャルド芸術に熱中したり、従弟の親友だった黒澤明もしていた左翼活動にちょっとだけ参加したり。姉に誘われて築地小劇場に通っていたころ、音響スタッフにいたのが和田誠のお父さんで、彼の後について打ち上げに交じったり、裏方を手伝ったり。大学では建築を学び、考現学の祖、今和次郎の講義を受ける。除籍になって職を転々としたあと、東宝に落ち着いたが、当時の上司の一人に秦豊吉がいた。ミステリと映画とジャズの人、というイメージがあるけれど、それは歳を経るうちに取捨されて残ったもので、その土台にあるものはもっと多様で幅広いことがわかる。そして、だからこそ、老人と言われるような歳になってから、ずっと下の世代からの注目を浴びたのだろう、という想像もできる。
 植草さん自身はまず書くことがなかっただろう、と思われるところにまで踏み込んでいるあたり、著者にとって植草さんが身近な存在であったことを感じさせる。まず一息に読み通して、ゆっくり再読したほどに、面白くも豊かな内容の本だ。平野甲賀さんの装幀も、とてもいいので、これから本を手に取るかたは、ぜひ帯を取ったりカバーを外したりして、楽しんでいただきたい。
『したくないことはしない 植草甚一の青春』津野海太郎 新潮社 2009
http://www.shinchosha.co.jp/book/318531/