スティーヴン・キング『夜がはじまるとき』

 スティーヴン・キング五冊目の短篇集、JUST AFTER SUNSET の後半が邦訳された。昨秋、前半の邦訳『夕暮れをすぎて』が発売されたとき、「後半が出たら通して読もう」と思って買ったが、我慢できなくなってすぐさま読んでしまったことを思い出した。
『夕暮れをすぎて』は、まず序文が素晴らしい。事故の負傷からの回復にはじまり、この短篇集ができるまでを自ら語るさまが、そのまま一篇の小説のようなのだが、キングの短篇小説観がほの見えてくる。そして、作品の一篇一篇が、さらに素晴らしい。たとえば、ランニングの途中で殺人鬼に拉致されたヒロインの戦いを描く「ジンジャーブレッド・ガール」も、国際貿易センタービルに勤めていた男のもとに、自爆テロで死んだ同僚たちの遺品が現われる「彼らが残したもの」も、夜の駅で列車を待ち続ける人々を描く「ウィラ」も、収録された作品のどれもが、丁寧だが無駄のない筆致で書かれていて、彼の短篇観が形をなしたものとなっている。
 読み終えてからは、後半が待ち遠しくてたまらなくなり、いっそ原書のペーパーバックを買ってしまおうか、と思ったほどなのだが、年が明けてすぐにこの『夜がはじまるとき』が発売された。書店に並ぶのがこれほど待ち遠しかった本も、なかなかない。
 アーサー・マッケンの「パンの大神」に触発されたという「N」の、ブラックウッドやラヴクラフトをも思い出させる恐ろしさを支えるのは、細密な筆づかいだ。仮設トイレに閉じ込められた男の恐怖と苦闘を描く「どんづまりの窮地」も、細部にまで行き届いた計算ゆえに悪趣味に流れず、痛快なまでに黒いユーモアが湧いてくる。ブラック・ユーモアといえば「聾唖者」にも、キング自らが〈ヒッチコック劇場〉を連想したというだけに、怖さと可笑しみが同居していて面白い。「ニューヨーク・タイムズを特別割引価格で」や「アヤーナ」に湛えられた、あたたかみとしか言いようのない感覚も、やはりその丁寧な書き方から生まれてくるのだろう。そういえば、『夕暮れをすぎて』の「ウィラ」「彼らが残したもの」「ハーヴィーの夢」もやはり、優しくあたたかい物語だった。
 驚いたのは、「魔性の猫」が、今回初めてキング本人の短篇集に収録されたこと。雑誌掲載は1977年、『シャイニング』が出版された年の短篇だ。『深夜勤務』に収録されていてもよさそうな頃のものだが、本作からもやはり、その筆致の丁寧さが感じられる。『骸骨乗組員』や『深夜勤務』が邦訳された1980年代の後半には「キングはやはり長篇の作家」「短篇集よりは長篇を訳してくれ」という声が高かった。そう言われたのも、多くの長篇が未訳だったからなのだろうが、キングの短篇が過小評価されているようで、ぼくは淋しく思ったものだ。だが、本作を読んで「やはりキングは昔から短篇も巧かったのだ」と確認した思いで、なんとも嬉しい。
 なお、本書の解説は、漫画『今日の早川さん』の作者、cocoさん。「早川さん」の出張版二ページを含めて、見事なキング小論になっているのに脱帽した。

『夜がはじまるとき』スティーヴン・キング 白石朗他訳 文春文庫 2010
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784167705824
JUST BEFORE SUNSET Stephen King 2008

『夕暮れをすぎて』スティーヴン・キング 白石朗他訳 文春文庫 2009
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784167705787