ジョン・ハート『川は静かに流れ』

 主人公アダム・チェイスが、ノースカロライナ州ローワン郡に向かう冒頭から、もう胸に堪えてくる。殺人の冤罪ゆえに故郷を捨てた彼ほどでは、もちろんないのだが、自分の思い出の重さ暗さが浮かんで、ページをめくる手が滞りがちになる。
 それでいて、なのか。それゆえに、なのか。この小説に描かれている故郷の風景は、実に美しい。ナマズ釣りの少年。通り雨。口の周りを摘んだベリーの色に染めた子供たち。そして、題名にもあるヤドキン川の流れ。美しいだけに辛い。だが、その辛さが惹きつける。先を読ませる。
 苦境におちた旧友からの突然の電話で、アダムはやむなく、その美しい風景の中に帰る。歓迎されざる帰還。彼がトラブルを運んできたかのように、暴行と脅迫が、そして新たな殺人事件が起きる。彼を勘当した父、裁判で彼に不利は証言をした継母、刑事になったかつての恋人……冷たい視線を浴びながら、彼は事件の渦中へと身を投げていく。
 著者みずからが書くように、これは「家族をめぐる物語」である。だが、きわめて緻密なプロットのミステリでもあることを、見過ごすわけにはいかない。過去と現在それぞれの殺人事件だけでなく、アダムの実母の自殺や、さらに深く秘められた謎までが、家族の物語としっかり結びついている。謎が解けることで、登場人物たちの「絆」が強くなったり、新たな結びつきをみせていくさまには驚嘆のほかない。
そして、読み終えると、最初はアダムの苦しみを強めるかのように思えた風景の美しさが、純粋に美しいものとして、思い出されてくる。
 2008年度のアメリカ探偵小説クラブ賞、最優秀長篇賞受賞作。翻訳も見事だ。

ジョン・ハート『川は静かに流れ』東野さやか訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 2009
DOWN RIVER John Hart 2007
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/433102.html