ジェイン・オースティン『高慢と偏見』


 急に、このイギリス文学の古典を読みたくなったのは、『高慢と偏見とゾンビ』という、なんとも奇天烈な小説が邦訳されたから。本歌取りをホラーでしてみた様子で、面白そうなのだが、原典を知らないで本歌取りを楽しむわけにもいくまい。
 で、この『高慢と偏見』を読んでみたら、想像していたよりはるかに面白い。十九世紀イギリスの、富裕階級の女性エリザベスが、青年地主ダーシー氏と知り合い、誤解や反目を繰り返したりすれちがったりしながら、惹かれあい結婚へと向かっていく物語。でも「昔の恋愛ものなんて退屈じゃないかな」などという先入観は、読みはじめるや、あっさり引っくり返った。エリザベスは意志堅固で、思ったことははっきり口にする。ダーシー氏は一見お高くとまっていて、なんともとっつきにくい。どちらも頭がよくて弁も立つから、交わす台詞はユーモアもトゲも含んでキレがよく、思いを告げるのも肘鉄をくらわすのも丁々発止。この二人、結末では幸せになるんだろうな、と予想はつくが、それでも「この先どうなるのだろう」と、読み進まずにはいられなくなる。
 この二人を取り巻く人々がまた、一人ひとり面白く描かれている。今ふうに言えば「キャラが立ってる」ということか。エリザベスの父ベネット氏や、若い牧師コリンズ氏などは、後年『モンティ・パイソン』のネタ元にされていそうな気さえする。登場人物は多いのだが、書き方がこの調子だから、「あれ、この人は誰だっけ」ととまどうこともない。なお、ちくま文庫だと登場人物一覧がついているからさらに安心だろう。
 大事件はないが、そんな人々の間で小さな事件が緩急よく起き、それらがつながって物語の流れを作っていく。岩波文庫のジャケットには、惹句で探偵小説に比していたが、計算が行き届いているあたり、ミステリの読者にも楽しめるだろう。そう、「貴族のお屋敷に客人たちが集うなか、殺人事件が起きて」なんてパターンがミステリにあるけれど、そこから殺人事件を取り外してしまい、でも筋立ての味わいは残っている、なんて印象だろうか。そういえば昔、P・D・ジェイムズがどこかのインタビューで、好きな作家にジェイン・オースティンを挙げていた。
 もっとも、連絡は手紙、交通は馬車、夕食が二回あって、知人宅への訪問はそのまま滞在になる時代のお話。書き方そのものに無駄はないのだが、時間の流れがゆったりしていて、物語そのものも悠然と進むから、ページをめくる手もゆっくりめにしたほうが楽しいだろう。
 派手な展開はないけれど、筋立てがきちんと計算されていて、登場人物もしっかり描かれている。だから面白い。深読みすれば、この十九世紀初頭の人々の生活や考え方、女性の社会的な地位など、さらにさまざまなものが見えてきそうだから、さらに面白い。翻訳は、文庫だけでも四社から出ていて、いずれもロングセラーだから、読み比べてみるのも楽しそうだ。
 ぼくはミステリが好きなものだから、この作品世界に殺人事件が起きて、エリザベスとダーシー氏が推理を競ったらどうだろう、などと想像して脱線も楽しんでしまったのだが、ここに死者がよみがえって暴れだしたら、と想像したら、『高慢と偏見とゾンビ』ができたのだろう。原典から二百年を経てパロディが登場したことに、この『高慢と偏見』が長く読み継がれていると、あらためて感じずにはいられなかった。

ジェイン・オースティン高慢と偏見』(上下)中野康司訳 ちくま文庫2009年第7刷(2003年第1刷)
PRIDE AND PREJUDICE Jane Austen 1813
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480038630/
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ジェイン・オースティン、セス・グレアム=スミス『高慢と偏見とゾンビ』安原和見訳 二見文庫
http://www.futami.co.jp/book.php?isbn=9784576100074