ジュール・ヴェルヌ『グラント船長の子供たち』

グラント船長の子供たち』は、ヴェルヌの1868年の作で、1872年の『海底二万海里』とは、1875年の『神秘の島』で、ひとつの世界の物語となる。同作の第二部が本作の、第三部が『海底二万海里』の、それぞれ後日譚となっているのだ。
 だが、『海底二万海里』は言うにおよばず、『神秘の島』も複数の訳者によって邦訳されているのに、本作は1968年の集英社《ヴェルヌ全集》以来、大久保和郎訳で繰り返し出版されているばかり。さらに、手に入れるのもちょっと難しい。作品そのものが、あまり知られていないようだ。
 それがなぜかは、読んでみてわかった。
 もちろんヴェルヌの冒険小説だから、つまらないわけではない。だが、他の作品、こと『海底二万海里』と並べてしまうと、古びてしまったところが目立つのだ。
 1864年7月26日。スコットランド貴族グレナヴァン卿は、ヨット〈ダンカン号〉でノース海峡をクルージングしているさい、捕獲したシュモクザメの胎内から、手紙の入った瓶を見つける。英独仏の三ヶ国語で書かれた手紙は、水に濡れてほとんど判読不能。が、読めるところをなんとかつないでみると、二年前の航海中に行方不明になった、グラント船長の消息を示すものとわかった。グレナヴァン卿と、その妻で名高い旅行家の娘へレナは、船長の二人の子供、メアリとロバートの姉弟を連れ、マングルズ船長以下〈ダンカン号〉の乗員を率いて、船長を探しに旅立つ。
 手紙の解読のしかたの、ほんのちょっとした違いで、船長がいると思われる場所が大きく変わるのが、暗号解読のようで面白い。船長を捜す旅は、そのまま南半球の探検行となり、一行はパタゴニア、オーストラリア、ニュージーランドを巡る。誤って〈ダンカン号〉に乗ってしまったフランス人地理学者、パガネルのキャラクターが楽しい。コミックリリーフであると同時に、この冒険旅行をそのまま博物誌にしてしまう、生き字引ぶりを発揮するのだから。ただ、ヴェルヌは船長の行方よりも、南半球の風物に興味を向けてしまったようで、物語は終始のんびりしていて、ときに退屈になるのは否めない。
 また、イギリス統治下にあるオーストラリアとニュージーランドに舞台が移ると、ヴェルヌがよく語るイギリス批判が、ここでも強くなってくる。これもまた、物語の流れを妨げているようだ。それはしばしば「先住民を差別するイギリス人を批判する」という形を取っていて、発表当時には有意義な記述だったのかもしれない。が、現代の読者の目には、フランス人が先住民とイギリス人を同時に差別しているように映ってしまいそうだ。
 それでも、船長の行方を追って、自然の猛威や脱獄囚たちの追撃など、さまざまな苦難を乗り越えながら、海路と陸路の大旅行が波瀾万丈に語られるさまを読み終えたときには、ときどき頭をかすめた不満はどこへやら、楽しかったなあ、という気持ちがいちばん大きく残る。さすがヴェルヌ、としか言いようがない。
 ひとつ気になっているのは、グラントのキャラクターはキャプテン・クックを素材にしているのではないか、ということ。キャプテン・クックについての本も、できるだけ近いうちに読んでみたいところだ。

グラント船長の子供たち』上下 ジュール・ヴェルヌ 大久保和郎訳 旺文社文庫1977(集英社1968の文庫化)
LE ENFANTS DU CAPITAINE GRANT Jules Verne 1868