南洋一郎(原作ルブラン)『奇巌城』

 昔、小学校の図書館には、ポプラ社の〈名探偵ホームズ〉と〈怪盗ルパン〉が、ずらっと並んでいた。同級生たちは「ホームズとルパン、どっちが好きか」なんて話していたものだった。
 あのシリーズに出会うことは、さすがにもうないだろう。そう思っていたら、今年に入ってポプラ文庫から〈怪盗ルパン全集〉が、懐かしい装丁そのまま、復活をはじめたので、驚いた。
 ぼくは子供の頃からホームズが好きで、ルパンものはほとんど読まなかった。たまたま読んでみたのが『奇巌城』で、ホームズをわざわざ客演させていながら、憎まれ役の負け役にしていたからだ。これでルパンものが嫌いになった、という人は結構いるようで、瀬戸川猛資さんも『夜明けの睡魔』でそこに触れ、「ルブランはずるい」と書いている。同感だ。
 でも、その瀬戸川さんがのちに、ポプラ社の〈怪盗ルパン全集〉にはまってしまった、という。
「これは絶対におもしろい。大胆にデフォルメされているから翻訳とはいえないが、ルパン物の醍醐味が最高の形で凝縮されているのだ。(中略)なにせルブランの原作よりもおもしろいのだ」(昨日の睡魔10「南洋一郎は天才ではないだろうか」『夜明けの睡魔』)
 この絶賛ぶりだから、気になってしかたがない。で、嫌いだったはずの『奇巌城』を、それこそ三十余年ぶりに読んでみて、驚いた。瀬戸川さんのいうとおり、面白いのだ。
 この『奇巌城』、高校生イジドール・ボートルレが主人公で、ルパンはもちろん敵役、そればかりか、なかなか姿を現さない。ジェーブル伯爵家で起きた奇妙な盗難と殺人の謎にはじまるから、事件が中心でいかにもミステリらしく思える。
 だが、イジドールとルパンがひとたびまみえ、対決のうちに友情めいたものを感じるあたりから、流れが変わってくる。伯爵家の怪事件は前振りで、本筋は三百余年を遡り、ルイ十四世の秘宝探しへと、伝奇物語に一転するのだ。さらにクライマックスには、海底にまで舞台を広げての大活劇。フランス・ミステリの古典というよりは、おおらかな時代の大衆娯楽小説だ。大胆にして洒脱な怪紳士と、知力体力あふれる少年探偵の冒険ゲームを、スポーツ観戦よろしく楽しむのが一番だろう。ルパンに箔をつけようとしての無理な客演か、ホームズは物語がこんな調子だからむしろ邪魔。負け役はガニマール刑事がいればいい、という気もしてくる。
 南洋一郎の「大胆なデフォルメ」というのはどのあたりか、他の翻訳と比べていないのでわからないが、ひとつ気がついたのは、ルパンの口調。自分を「わがはい」と言い、台詞まわしにも気品がある。別の訳書で読んだときに気になった、警察をしつこく嘲る口の悪さがない。年少の読者への配慮だろう。でも、それだけでもルパンが恰好よく見えてくる。
 また、章立てに「火事だっ」「美少女は生か死か」といった見出しがあるのも楽しく、この先どうなるか、読者を引き込んでいく効果を上げている。ここに引用しても面白くないから、ぜひ本を手にとって、五ページにわたる目次を眺めてみてほしい。
 ジャケット画(牧秀人)は、昔の映画館の手描き看板みたいな味わいがあるが、挿絵(奈良葉二)も楽しい。描き方にはやはり時代を感じるものの、人物に動きがあり、画面の遠近感もくっきりしていて、モノクロの探偵映画を見ているような気分になってくる。
 ルパンものはこんなに面白かったのか、と勢いづき、他のも読もうと本屋に行って、『奇巌城』と同時に発売された三点をまとめ買いしてしまった。ふと見ると、さらに新刊が四点並んでいる。おのれルパンめ、と、してやられたガニマールみたいな独り言をつぶやいてしまった。

南洋一郎/文 モーリス・ルブラン/原作『奇巌城』 ポプラ文庫2010(初刊1958)
http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=81020040
L'AIGUILLE CREUSE Maurice Leblanc (1909)