マイケル・バー=ゾウハー『エニグマ奇襲指令』

『ベルリン・コンスピラシー』が実に面白かったので、バー=ゾウハーの旧作を読み返してみたくなった。多くが手に入れにくくなっているのは残念だけれど、幸いこの『エニグマ奇襲指令』は、まだ書店に並んでいる。ぼくがこれを最初に読んだのは、内藤陳さんの『読まずに死ねるか!』で紹介されたときで、まだ高校生だった。この再読は三十年ぶりということになる。
 時は1944年、第二次大戦末期。イギリスで逮捕された泥棒、フランシス・ド・ベルヴォアールが、自由と引き換えに受けた任務は、ドイツの暗号機〈エニグマ〉の奪取。占領下のフランスに彼は潜入するが、〈エニグマ〉を狙う英国の工作員がいることをドイツ軍は察知。迎え撃つルドルフ・フォン・ベック大佐と「男爵」の対決やいかに?
 設定から、スパイ小説かな、戦時冒険小説かな、と思わせるけれど、これはケイパー・ノヴェルでもあるんだな、と、読み返して気づいた。そして、どれと思って読んでも、すばらしく面白い。文庫で280ページくらいだけれど、書き方に無駄がないから、中身は濃い。ストーリーはしっかりしているし、登場人物にも存在感がある。だから、二倍くらいの厚さの小説を読んだときのような満足感が得られる。
 再読して気づいたのだけれど、ダートムアの監獄に向かうさいに、英国諜報部の高官が『バスカヴィル家の犬』を思い出したり、諜報部内のある組織の通称が「ベイカー・ストリート・イレギュラーズ」だったりと、ホームズものにひっかけたくだりがある。また、フォン・ベック大佐の愛読書にポオやヴェルヌがあったり、ベルヴォアールがフランスの仲間たちには「男爵」と呼ばれ慕われていて、なんだかルパンを連想させたりと、娯楽小説の古典につながるものが多いのが面白い。ルパンは英米では不人気、と聞いたことがあるけれど、バー=ゾウハーはイスラエルの人だからそのうちには入らないだろう、と思うと、彼はこの一作に、自分の好きな小説を、あれこれ詰め込んているような気がして、読み終えてからあらためて楽しくなってきた。

エニグマ奇襲指令』マイケル・バー=ゾウハー 田村義進訳 ハヤカワ文庫NV 1980年初版(2007年10刷)
THE ENIGMA. Michael Bar-Zohar, 1979
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/30234.html