F・W・クロフツ『フレンチ警部と毒蛇の謎』

 クロフツは『樽』が有名なだけに、アリバイ崩しものの作家というイメージがあるようだけれど、実は密室ものあり冒険活劇ありの多彩な作風の人で、彼が書いたミステリはどれもはずれがないし、続けて読んでも飽きない。
 最後に残されていた未訳長篇『フレンチ警部と毒蛇の謎』は、〈刑事コロンボ〉のファンには嬉しい倒叙ものだけれど、主人公は犯人ではなくて共犯者。犯行にいたる過程からフレンチ警部と対決するまでのサスペンスはもちろん、主犯が何をしたか知らないだけに、「いかに犯行はなされたか」の謎解きもあり、この試みへのクロフツの自信のほどが、巻頭から見てとれる。
 動物園の園長ジョージ・サリッジは、妻との不和がもとで賭博にのめり込むばかりか、運命の女性に出会って二重生活をはじめ、ついには殺人への加担を余儀なくされていく。中年男が窮地に追い込まれる経緯の情けなさがコミカルに描かれていて、やはり中年男のぼくは、あちこちに共感しながらも、笑わずにはいられなかった。彼が共犯者になることを決定づけられる場面には、ふきだしてしまったほど。しょうがないなあ、ジョージは。
 そんなジョージの、こちらは真面目な仕事ぶりから、1930年代イギリスの動物園がどのようなものだったか、うかがえるのが面白い。クロフツのミステリの面白さのひとつに、取材の丁寧さがあることをあらためて感じる。港に着いた象を動物園まで運ぶのに意外な指示を出すし、珍獣をペットにする飼い主の身勝手な問い合わせに、呆れながらも答える。そんな彼の共犯者としての役割は、猛毒のラッセルクサリヘビを主犯に提供すること。なんとも奇妙なその方法が、事件につながる謎のひとつ。彼はそれ以上は犯行には関わらないのだが、蛇毒を研究する病理学者バーナビー教授が急死し、さらに不安な日々を過ごすことになる。
 フレンチ警部が登場するのは後半からで、当初の捜査陣が見落とした小さな齟齬に気づいた彼は、そこを糸口に真相を暴いていく。その過程が実に理詰めで、主犯は、そしてジョージも、徐々に逃れる場所を失っていく。本格ミステリってこういうところが楽しいんだな。悠然としているようで、緊張感は最後まで途切れない。まさにクロフツ式ミステリの好サンプルと言えるだろう。
 じっくり楽しんだあとは、クロフツの他の本を探しにいきたくなるのはまちがいないところ。でも、この本を片手に動物園に行ってみてもいいでしょう。こと爬虫類館の見方が、きっと変わっていますよ。

フレンチ警部と毒蛇の謎』F・W・クロフツ 霜島義明訳 創元推理文庫 2010
ANTIDOTE TO VENOM Freeman Wills Crofts 1938
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488106317