団鬼六『悦楽王』



《この世は夢よ、ただ、遊べ。/日本のエロに衝撃を与えわずか3年で華と散った伝説の雑誌『SMキング』。官能小説の王者が明かす70年代・痛快自伝的小説》(帯より)

 最初のページで目にとまるのは、「ヒッチコック劇場」の文字。えっ、団鬼六が「ヒッチコック劇場」? そう思ったときは、もう本に惹き込まれていた。著者が一時、中学校で英語を教えていた、ということはどこかで読んでいたが、その後に海外TVドラマの吹き替え台本を手がけていたとは、知らなかった。
 ヒッチコックの話からはじまるからではないが、この本、実にサスペンスフルで、スリリングだ。作るものが何であれ、制作の現場がサスペンスに満ちていることはたしかだが、ここで作るのは雑誌、それも倒錯異端のエロティシズムを満載した『SMキング』。『花と蛇』の作者のもと、「鬼プロ」に集うは型破りな青年男女。そのうえ、時は日本が上昇の意気にあふれた1970年代なのだから、読んでいてもわくわくせずにはいられない。危機や不安ではない、これから始まる新たなものへの、期待ゆえのサスペンスがあふれてくる。
 さらに、著者を取り巻く人々の多彩さ、華々しさが心を捉える。冒頭から出ずっぱりの愛すべき人物、たこ八郎和田誠『銀座界隈ドキドキの日々』にも、そっくり同じ風貌と陽気さで登場する篠山紀信。幽霊屋敷の噂が立った著者邸に足しげく通うばかりか、近所の人たちを招き宴席を開く渥美清……。
 有名無名にかかわらず、異能の人々が、ページから生き生きと立ち上がってくる。彼らを語るさい、著者の文章がひときわ輝く。ただでさえ無駄のない名文なのに、人を語るときには優しいユーモアを湛え、あたたかい。
「競合誌の編集者による雑誌作りのノウハウ伝授」「社長邸の幽霊騒動」といったエピソードの数々にとまらなくなり、気づくと三年後の鬼プロ倒産、『SMキング』終刊まで読んでしまう。だが、もちろんそれだけでは終わらない。倒産をめぐって「ヒッチコック劇場」ばりの奇妙な展開が待っている。そして最後のページには、外遊に向かう著者夫妻を空港で見送る、鬼プロの元社員たちの明るい表情が描かれる。
 出版と表現をめぐる冒険物語と呼びたくなる、スリリングで爽快な一冊。この本を通して、著者と鬼プロの社員たち、『SMキング』をめぐる人々に出会えたことが、嬉しくてたまらなくなった。

団鬼六『悦楽王』講談社 2010
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2160420
朝日新聞書評(穂村弘評)2010年4月11日掲載
http://book.asahi.com/review/TKY201004130205.html