ジェフ・リンジー『デクスター 闇に笑う月』

 本を読むあいだは、ちょっとしたくつろぎの時間で、ほんの少しでも現実を忘れるのには、ミステリのようにルールや様式があるものが、ちょうどいい。怪事件を追う名探偵、その活躍と鮮やかな推理。現実にはありそうもないが、だからこそ、気楽に読めるというものだろう。現代社会の醜悪さだとか、人間の哀れさや愚かさだとかを描いた、シリアスな国産の推理小説が売れている、なんて噂も聞くけれど、そんなものは現実だけでたくさんだ。
 このシリーズは、ありそうもないが納得させられてしまう設定が、まず面白い。好青年デクスター・モーガンは、マイアミ警察の鑑識技官。血痕鑑定の専門家である。が、仕事で犯罪捜査に関わる一方で、プライベートでは自ら人を殺す。彼はサイコキラーなのだ。が、刑事だった養父の遺訓を守り、自分と同じ異常殺人者、生かしてはおけない連中だけを狙う。物語には懐かしい「怪人対名探偵」の味わいがあるのだが、実は「怪人対怪人」というわけだ。
 第一作『デクスター 幼き者への挽歌』では、被害者はバラバラに切断されているのに現場に血痕がない、という奇怪な連続殺人が発生。鑑識としての出番がない事件なのだが、デクスターは刑事である義妹デボラに協力し、犯人に共感を覚えながらも、その不敵な挑戦を受けて立つ。
 第二作『デクスター 闇に笑う月』では、“ドクター・ダンコ”と呼ばれる殺人鬼が暗躍する。彼は犠牲者を再起不能なまでに切断しておきながら、生かしておくのだから、実に恐ろしい。ダンコを追うためにデクスターは、彼の正体を悟っているらしい刑事とコンビを組まざるをえなくなる。
 サイコキラーが主人公で、起きる事件がかくも凄惨だというのに、デクスターを取り巻く人々のキャラクターが楽しく、すっとぼけたようなユーモアが作中に漂っていることもあって、嫌な感じはまったくない。さらに、デクスター本人の真面目さや、自分の障害を意識しながら社会に適応しようとする努力は可笑しくもあるし、「がんばれデクスター!」と応援したくもなる。さらに、ストーリー展開はテンポよくスリリングで、一息に読んでしまうことは、間違いない。
 仕事帰りの電車の中で、あるいは、帰ってから座り心地のよい椅子で、しばし現実を忘れるのには最適なシリーズだろう。引き続き邦訳されますように。

『デクスター 幼き者への挽歌』ジェフ・リンジー 白石朗訳 ヴィレッジブックス 2007
DARKLY DREAMING DEXTER by Jeff Lindsay, 2004
http://www.villagebooks.co.jp/books-list/detail/978-4-86332-875-4.html

『デクスター 闇に笑う月』ジェフ・リンジー 白石朗訳 ヴィレッジブックス 2010
DEADLY DEVOTED DEXTER by Jeff Lindsay, 2005
http://www.villagebooks.co.jp/books-list/detail/978-4-86332-244-8.html