リチャード・コンドン『ワインは死の香り』

 このブログに何か意味があるとすれば、たとえば本を取り上げたとき、「こんな本がある」もしくは「あった」と知る機会をひとつ増やした、というくらいなものだろう。とすれば、あまり語られることのない本を紹介しておくことで、少しは有用になれるかもしれない。そんなふうに考えているうちに、最近古本屋で見つけた本について、書いてみたくなった。
 ぼくは長年、ハヤカワ文庫NVのファンでいる。ミステリやSFとは別枠の、面白い小説を出しているからで、映画の原作やホラーや冒険小説、さらにはジャンルに入れにくいような異色のものなど、このレーベルで知った名作傑作は、挙げていけばきりがない。
 こと1980〜90年代は熱心な読者で、円の中に馬車のシルエットを描いた背表紙のマークを本棚に並べて悦に入っていたものだ。残念なのは、この頃に刊行されたものの多くが、今は手に入れにくくなっていて、近頃は読み返したいものや読み逃したものを、古本屋を巡って探すのが習慣になりつつある。
 リチャード・コンドンも読み逃していた作家の一人で、退役海軍大佐コリン・ハンティントンが活躍する二作、『ワインは死の香り』と『オパールは死の切り札』を、ついこのあいだ見つけることができた。この二作、「広義の」ミステリと言うべきか、冒険コメディと言うべきか。なんともジャンルに入れづらいのだが、それだけに独特の味わいがあって、とても面白い。
 コリン・ハンティントンはイギリス海軍の大佐だったが、珠に瑕のギャンブル中毒で退役を余儀なくされ、『ワインは死の香り』ではワイン商として登場する。莫大な資産を持つ妻ビッツィと、才気溢れる愛人イヴォンヌの双方から愛される幸せな男で、お抱えの天才料理人フランコオガールが腕を揮った料理を、毎日のように楽しむ食通でもある。
 人もうらやむそんな生活を一変させるのも、やはりギャンブル。ある日、大佐は負け続けて一晩で莫大な負債をおったばかりか、フランコオガールまで人手に渡してしまい、ビッツィからは離婚届を突きつけられることになってしまった。
 一発逆転、負けを帳消しにして料理人を連れ戻し、妻に離婚届を引っ込めさせるために、彼は奇策を案じる。二百万ポンド相当のフランスワイン、しめて二千ケースを強奪しようというのだ。だが、そんな大量のワインをどう盗み、どうやって現金に換えるのか? かつての部下を相棒にし、イヴォンヌの父である暗黒街の顔役ボネットの協力を得て、この奇天烈な犯罪計画は実行に移されていく。
 この『ワインは死の香り』、ウェストレイクのドートマンダーもののような、コミカルな強奪小説といえる。登場人物のやりとりももユーモラス、筋運びはスリリングで、実に面白い。だが、もちろんそれだけでは終わらない。一見は軽薄に見えるコリンだが、心意気は英国紳士であり、海の男だ。それだけに物語にも、コミカルな味わいの下にちゃんと筋が通っていて、骨の太い犯罪/冒険小説になっている。美女、美酒、美食から一歩踏み込むと、それよりさらに男心を騒がせる、命を張った大勝負が控えている。ストイックな真顔でいるばかりが冒険小説ではないでしょう。
 原題の ARIGATO は日本語の「ありがとう」だが、なぜこんな題名なのかは読み終えたときにわかる。そして、この耳慣れた言葉があらためて、胸に深く響くことだろう。
 続く『オパールは死の切り札』は、オーストラリア沖の海底油田をめぐり、採掘権取得のための資金を競馬ですってしまったコリンが逃亡し、雇い主である日本企業はもとより、オーストラリア警察、CIA、KGB(この両者、実は妻の親族に牛耳られている!)がその行方を追う、という物語。『ワインは死の香り』よりさらに奇想天外でコミカルなのだが、筋が一本はっきり通っているところは変わらない。
 ともに1970年代に書かれたものだが、面白いだけでなく、今にも通じるものを持っている。埋もれたままにしておくのは惜しい。

『ワインは死の香り』リチャード・コンドン 後藤安彦訳 ハヤカワ文庫NV 1983(初刊1977)
ARIGATO by Richard Condon, 1972
オパールは死の切り札』リチャード・コンドン 後藤安彦訳 ハヤカワ文庫NV 1983(初刊1980)
BANDICOOT by Richard Condon, 1978