ポール・ギャリコ『マチルダ ボクシング・カンガルーの冒険』

 もし、サーカスにいるボクシング・カンガルーが、プロボクサー、それも世界チャンピオンと対戦したら? かれこれ四十年も前に、こんなアイデア一つで、楽しくて痛快でわくわくする小説を書いた人がいる。その小説のタイトルは『マチルダ』、書いたのはポール・ギャリコ。そう、猫小説の古典『さすらいのジェニー』や、海洋パニック映画の名作『ポセイドン・アドベンチャー』の原作『ポセイドン』を書いた、あのギャリコです。思えば、この二つの傑作も、猫になってしまった男の子とか、転覆して天地さかさまになった豪華客船とか、シンプルなアイデアにはじまる物語。ボクシング・カンガルーのタイトルマッチというのも、そんな思い切りのよいアイデアのひとつでしょう。
 ビミーはブロードウェイの芸能エージェント。野心と若さはあっても、運と資本がない。そこに、全英ライト級チャンピオンの記録と、「マチルダ」という名のカンガルー一頭のほかは無一物の元ボクサー、ベイカーが現れる。その窮状を放ってはおけず、ビミーはカーニバル興行を仲介したが、「ボクシングの天才」マチルダは、そこでとんでもないことを起こしてしまう。酒に酔ってリングに上がってきたミドル級世界チャンピオン、ドカティをKOしたのだ。
 運よく興行を見にきていたのは新聞記者パークハースト。チャンピオンになったはいいが、マフィアのボスの威を借りて防衛戦から逃げ続けているドカティを快く思っていなかった彼は、「新チャンピオンはカンガルー!」と、面白おかしく記事を書きたてた。マチルダはいちどきに注目され、ビミーとベイカーは大あわて。ボクシング・プロモーターのパトリック・アロイシャスも仲間に加え、ドカティとの再戦に向けて、プロボクサーとの試合を続けることになる。
 愉快でないのはマフィアのボスで、これは面子にかかわると、マチルダの試合をあの手この手で邪魔しはじめた。男たちは、危機また危機を知恵と度胸で切りぬけながら、それぞれの夢を一頭のカンガルーに賭ける。
 なんとも奇抜な物語だ。でも、もちろんギャリコの書いたもの、アイデアだけに頼ってもいないし、おふざけに逃げてもいない。動物と人とのかかわりを、スポーツとショービジネスのはざまに揺れるボクシングの明暗を、コミカルな展開のあいだに苦みを忍ばせるように描いている。人の思いとはまったく遠いところにある動物の無垢な心が、リングに夢と栄光を求める男たちの熱意が、笑いながら読むうちに胸にしみてくる。
 古ぼけた言葉だが、「大人のためのお伽話」というものがあるのなら、こういう物語のことをいうのだろう。
 ……というだけの小説だと思ったら、大間違い。
 忘れちゃいけない、これは翻訳ミステリで有名な文庫のレーベルから出てるんだよ。油断は禁物、気をつけて読んでね。
 えっ、何に気をつけるか、だって? 言えるわけないじゃないか。だって、これも「ミステリ」なんだから。それでも気になるかい?
 じゃあ、ちょっとだけ書かせてもらおう。ボクシングをするのは牡のカンガルー。牝をめぐって他の牡と闘う繁殖期に見られる行動だということだ。牡カンガルーなのに、名前が女性風の「マチルダ」なのはなぜかというと、故郷オーストラリアの歌「ワルツィング・マチルダ」から来ている。そこに気をつける必要は、もちろんない。おっと、怒っちゃいけないよ、どんなミステリでも、仕掛けについて語るのはルール違反なんだから。

『マチルダ ボクシング・カンガルーの冒険』ポール・ギャリコ 山田蘭訳 創元推理文庫 2000
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488194031
MATILDA by Paul Gallico, 1970

《追記1》本作は、本書以前の1978年に、高松二郎訳で『マチルダ』(ハヤカワ・ノヴェルズ)として刊行されている。この旧訳では、主人公ビミーの台詞などに新訳と異なるところがあるが、異同の理由はさだかではない。旧訳と新訳で筋が変わっているわけではないが、コミカルな会話の味わいだけをとっても、新訳のほうが数段上なので、こちらをお読みすることをお薦めする。なお、旧訳、新訳ともに版元品切だが、新訳は大手書店に在庫のある可能性があり、古書店でもわりあいよく見かける。
《追記2》本作は1978年に映画化されている。監督はダニエル・マン、出演にエリオット・グールドロバート・ミッチャム他。マチルダは本物のカンガルーでなく人間が操演しているのだそうだが、なかなか精巧な出来だという。公開後はVHSが一度発売されたきりらしいが、一度見てみたいものだ。