第一回〈ボクシング・ミステリ〉大会

 ボクシングが好きで、ミステリの題材になっていると、それだけで嬉しくなる。こと近年、自分でサンドバッグを打ったり、試合を見にいったりするようになると、さらに面白くなってきたように思う。そこで、ボクシングがらみのミステリで、ぼくが好きなのを、いくつか挙げてみることにした。
 とはいえ、たとえば主人公が元ボクサー、なんていうものまで入れたら、収拾がつかなくなる。試合や練習の場面が描かれているものに限って、試合の対戦カードよろしく選んでみよう。

【第一試合】
A・A・フェア『大当りをあてろ』砧一郎訳(ハヤカワ・ミステリ1960→ハヤカワ・ミステリ文庫1979 原書1941)
  VS
ロバート・B・パーカー『勇気の季節』光野多恵子訳(早川書房2010 原書2008)
 第一試合は、年齢差はあるが、ルーキー同士の対戦。
『勇気の季節』は、ボクサー志望の十五歳の少年テリーが、友人たちとともにクラスメイト変死事件の謎を追う物語だが、プロットはシンプルで、むしろトレーニング場面に読みどころがある。十代の読者の中には、ボクシング・ジムに通いたくなってくる人も、いるかもしれない。が、中年練習生が読んでもやはり、テリーと同じトレーニングをしてみたくなる。それほど爽快で生き生きと描かれているのは、さすがパーカー。そういえば、スペンサーものの『初秋』にも、少年にボクシングを教える場面があったな。
〈バーサ・クール&ドナルド・ラム〉シリーズの『大当りをあてろ』は、ラス・ヴェガスでの失踪人捜しの最中に、ドナルドがボクシングのトレーニングを受ける。トレーナーはカジノのガードマンで、パンチ・ドランカーの気はあるが、気のいい元プロ。まだ寒い夜明けの、なかなか気乗りのしないランニングから、ミット打ちの高揚へと、練習の辛さと楽しさが、実感をこめて描かれている。練習後に待っている朝食の「黄金色に輝くコーヒーの湯気」なんて、たまらない。もちろん、プロットも謎解きも見事で、これを読んだのを機に〈クール&ラム〉シリーズを集めはじめたくらいだ。
 パーカーの元気のよさが先制するも、試合運びの巧みさでリードしたフェアの判定勝ちか。

【第二試合】
ピーター・ラヴゼイ『探偵は絹のトランクスをはく』(三田村裕訳 ハヤカワ・ミステリ1980 原書1971)
   VS
ポール・ギャリコ『マチルダ ボクシング・カンガルーの冒険』(山田蘭訳 創元推理文庫2000 原書1970)
「十九世紀イギリスのボクサー」対「一九七〇年代アメリカ、カーニバルのカンガルー」。奇妙なエキシビジョン・マッチだな。
『探偵は絹のトランクスをはく』は、〈クリッブ巡査部長&サッカレイ巡査〉シリーズの一篇。テムズ川で見つかった首のない死体が、禁制のベア・ナックル素手で闘うボクシングの選手と読んだクリッブ部長は、署内でも腕を(いや、拳を、か?)知られたジャゴ巡査を選手志願者に仕立て、選手を養成しているらしい田舎富豪の屋敷に送り込む。ボクシングが見世物でもギャンブルでもあった時代の様子が面白い。筋立ては西洋捕物帳といった感じだが、ジャゴは潜入捜査でトレーニングを続け、試合出場までいくから、事件とボクシングがしっかりからんでいて、サスペンスフルで面白い。
『マチルダ ボクシング・カンガルーの冒険』の時代になっても、ボクシングはやはりショービジネスやギャンブルと縁が深い。カンガルーと世界チャンピオンの対戦という奇天烈な設定も、その陰にひそんだ「仕掛け」にも、そんな背景が説得力を持たせている。
 なお、この二篇、ともにエンディングが爽快。エキシビジョンながら良い試合を見た印象。判定はドローか。

【第三試合】
エド・レイシイ『リングで殺せ』(野中重雄訳 ハヤカワ・ミステリ1964→ハヤカワ・ミステリ文庫1979 原書1960)
   VS
ノエル・カレフ『名も知れぬ牛の血』(宮崎嶺雄訳 創元推理文庫1963 別題『ミラクル・キッド』)
 セミファイナルは、試合巧者の対戦。
 落ち目のプロに復帰戦を持ちかけ、高額の保険をかけて強い相手と対戦させ、合法的に殺して保険金を詐取する。このアイデアを最初に書いたのが『リングで殺せ』じゃないか、という気がする。報酬と再起を約束され、浮き足立つボクサーと、そのさまに不安を覚える妻。巧みに計画を進める興行主とトレーナー、実は詐欺師コンビ。疑わしく思いながらも手出しができず、いらだつ刑事と新聞のスポーツ記者。試合に向けて一本道を進んでいく、シンプルなプロットなのに、痛快な結末まで惹きつけて話さないところ、レイシイの職人芸なのだろう。
『名も知れぬ牛の血』の主人公は、そろそろ引退か、と考えはじめているチャンピオン〈奇跡のキッド〉。期待どおりのタイトル防衛のあと、女優に誘われ出来心で家に忍んでみたら、彼女は殺されて容疑は自分に、という窮地に追い込まれてしまう。彼を罠にかけたのは誰? ボクシングは打撃力やスピードだけでなく、機転やひらめきをも競う頭脳のスポーツでもあることが、キッドの探偵ぶりからうかがえるのが面白い。キッドがボクサーとしての節目を迎える結末が後味良い。
 あえて注文をつけるなら、どちらも新訳で読みたい、というところだが、オールドタイマー同士の巧みな応酬には、ジャッジの判断力も試されるだろう。

【第四試合】
ジェイムズ・エルロイブラック・ダリア』(吉野美恵子訳 文藝春秋1990→文春文庫1994 原書1987)
  VS
ドン・ウィンズロウ『犬の力』(東江一紀訳 角川文庫2009 上下巻 原書2005)
 いよいよメインイベント、ヘヴィ級世界タイトルマッチ。
 すでに古典的名作、押しも押されもせぬチャンピオンの『ブラック・ダリア』、あらためて紹介することもないわけだが、出だしはほとんどボクシング小説だと思わずにいられない、ということだけは書いておいてもいいだろう。LA市警に勤務するリー・ブランチャード刑事と、バッキー・ブライチャート巡査。二人を結びつけるのはもちろん「ブラック・ダリア事件」なのだけれど、それ以上に重いのが、同じ元へヴィ級プロボクサーであり、警察に勤務してから、チャリティ・マッチではあるが、プロ時代にできなかった対戦をしていること。捜査中に失踪したリーを捜すバッキーが、共にリングに立ったことを思い出さずにはいられなくなるくだりが、胸にしみる。
 このチャンピオンに挑戦できる作品があるのか、対戦カードを組む段になって悩んだが、ここで選んだのは『犬の力』。ボクシングの場面は最初のほうに一度だけ。DEA捜査官アート・ケラーが、メキシコはシナロア州の有力者バレーラの甥ラウルとスパーリングをするのだが、この一度だけのスパーリングが、ケラーとバレーラ家を結びつけ、物語を動かしていく。ほかのきっかけでも登場人物を結びつけることは、ウィンズロウには容易なことに違いない。が、ここでボクシングを選んだことを称えたい。
 テクニックではエルロイ、スタミナではウィンズロウが優勢か。どちらもタイトルホルダー、ジャッジmojoの判定はドローだが、他のジャッジたちはどう見るか。

 まだ読み返していなかったり、本を見つけたばかりで、エントリーできなかった選手もいるし、日本からも選手を出したい。今回は長篇に限定したけれど、短篇にも面白いものがたくさんあることだろう。このような試合について、また書いてみたいものだ。
(『マチルダ ボクシング・カンガルーの冒険』『名も知れぬ牛の血』『犬の力』については、前にこのブログで書いていますので、御興味がおありの向きは、そちらも御覧いただければ幸いです。)