『白鯨』航海日誌(1)

 読みたい、という気持ちはあるのに、読まないでいるうちに年月がたってしまった本は、誰にもたくさんあることだろう。ぼくの場合、その筆頭に挙げられるのが、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』だ。
 読んでみようか、と思ったのは昨年末。ならば新年最初の読書に、と本を買いにいったはいいが、さすが古典、翻訳がいくつもあって、どれを読めばいいのか迷うことになる。文庫だけでも、田中西二郎訳(新潮文庫)、八木敏雄訳(岩波文庫)、千石英世訳(講談社文芸文庫)の三種類。岩波文庫は古本屋に行けば、阿部知二訳の旧版も、まだ手に入るはずだ。訳者で本を選べるとは、なんて豊かなんだろう!
 本屋に行っては読み比べること数回。結局、新潮文庫を選んだのは、田中訳が日本初の完訳である、と、カバー袖に記されていたから。翻訳も好きずきで、研究者らしい実直な八木訳を選んでもよかったし、語り手の一人称が「おれ」の千石訳にも惹かれたが、読み返すときの楽しみにとっておこう。もっとも、新潮文庫にだけ、捕鯨船の図解や原書挿絵がないのは、ちょっと残念だが。
 なお、国立国会図書館のサイトで調べてみると、阿部知二訳、筑摩書房版の三巻本の、第一巻刊行が1949年で、スタートはこちらのほうが早い。が、1955年の完結に先立って、新潮文庫が1952年に田中訳を上下巻で刊行している。戦後間もない頃に、名だたる翻訳家が二人も、この古典大作に取り組んでいたのは興味深いことだ。ジョン・ヒューストン監督の映画『白鯨』の公開は1956年だから、映画がらみの出版企画だった、とも考えられなくはない。
 さあ、船出だ。先入観や予備知識は持たないで行こう。相手は鯨と知っていながら、海図もなく一人、小さな漁船で海に出るようなものだが、かまうものか。、難破しそうになったら、ページを閉じて港に戻ればいい。
 だが、読みはじめるや、海に出る前に思わぬ難関に出くわす。「語源」と「文献抄」だ。あわせて三十ページほどあるから、けっこう長い。おまけに、「語源」は「肺病やみの代用教員」、「文献抄」は「朴念仁で芸なし猿の副・副司書」と、本棚の間にひそんでいそうな人たちによるものだという。二人とも、どうして鯨を追うのに本をめくってるんだろうね。海に出ればいいのに。
 しかし、それは浅薄な見方だ、とすぐに気づいた。代用教員のメモは鯨の語源にはじまり、十三ヵ国語の「鯨」を示す単語を挙げる。副・副司書の引用は創世記を筆頭に、シェイクスピアやミルトンなどの文学を経て、キャプテン・クックダーウィンの記録から、捕鯨船や米海軍の報告書までに至る。鯨が背負う歴史はかくも長く、その世界はかくも広大なのだ、と気づかずにはいられない。
 広い海の、巨大な鯨の物語なのだから、すぐに本筋に入らない、などと小さなことを言ってはいけないのだ。ぼくもこれから、代用教員や副・副司書と同じように、本の海に鯨を追う。

 こんな調子で、『白鯨』読書日記は、読み進めては立ち止まって書く、という形で、進めていきます。このような書き方は初の試みなうえ、そうすることによって出てくる問題も予想されます。でも、こういう書き方を楽しんでみたい、という気持ちが強いので、始めてしまいました。御容赦を。

『白鯨』上 ハーマン・メルヴィル 田中西二郎訳 新潮文庫2006改版(1952初版)MOBY-DICK by Herman Melville, 1851
http://www.shinchosha.co.jp/book/203201/