ルイス・ベイヤード『陸軍士官学校の死』

 自分が読んだ本について書くことが、気づかれず見過ごされていた本に目が向くきっかけになればいいな、と思う。読もうかどうしようか迷っている人の背中を押すくらいの役に立つほどのことができれば、さらにいい。「本が売れない」と聞く一方、その声とは裏腹に、翻訳ミステリに限ってもどれを読めばわからないほど本が出ていて、ちょっと気を抜くとすぐに消えてしまう現状なのだから。

 ルイス・ベイヤードの『陸軍士官学校の死』もまた、数ある「見逃してほしくない」ミステリのひとつだ。本邦初紹介の作家、文庫とはいえ上下巻、タイトルも即物的で地味。だが、いったん読みはじめたら最後まで一息に読まずにいられない、ファンタスティックな逸品だ。
 時は一八三〇年の秋、舞台はニューヨーク州、ウエストポイント陸軍士官学校。隠遁同然の生活をしている「わたし」こと元刑事のガス・ランダーは、昔の腕を見込まれ、士官学校の校長から捜査を依頼される。士官候補生の一人が縊死しているのが見つかったが、死体は忽然と消え、再び見つかったときには心臓が抜き取られていたというのだ。不可解な事件に取り組みはじめたランダーだが、彼の前に不思議な青年が現れ、こう告げる。
「あなたが探している人物は詩人です」
 およそ士官候補生らしからぬその青年の名はエドガー・アラン・ポオ。問題児と扱われる一年生だ。彼はランダーの助手となり、事件に深く関わっていく。
 元刑事が猟奇殺人事件を追いはじめる出だしだけでも、読者に期待を持たせ、充分に惹きつけているというのに、ポオの登場とともに物語は流れを大きく変えながら加速し、目が離せなくなってくる。士官学校の規律。過去の悲劇。盗まれた心臓。神秘学者。美しい姉弟……これらの要素のひとつひとつにさえ、油断がならない。証拠と仮説で真相を追うランダーと、詩人の想像力をもって謎解きに取り組むポオ。論理と詩想のせめぎあいの果てに真相が明かされたときには、驚きの声をあげずにはいられないはずだ。そして、同時に詩に繰り返される「ほの蒼い瞳」(原題でもある)が、胸のうちに響き続ける。
 二〇〇六年にイギリス推理作家協会賞ヒストリカルダガー(歴史・時代ミステリ部門賞)の、翌二〇〇七年にはアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞の、それぞれ候補に挙げられた。どちらかでも受賞しなかったのが不思議に思えるほど面白く、見事なミステリだ。多くの人が楽しんでくれることを願ってやまない。
 なお、これだけの作品が秀逸な翻訳で、それも廉価な文庫で読めることを喜びたい。また、要所をおさえ資料としても内容豊富な解説(川出正樹)といい、原書以上に美麗な装丁(柳川貴代+Fragment)といい、ここまでの充実ぶりはなかなかない。
 ちょっと脱線。「ミステリの祖」にふさわしく、ポオを扱ったミステリは数多い。なかでも、その死の謎をめぐり「デュパン」を名乗る二人の探偵がしのぎを削る、マシュー・パール『ポー・シャドウ』(鈴木恵訳 新潮文庫)が、ぼくには面白かった。また、ポオの作品に見立てた連続殺人をコナン・ドイルと奇術師ハリー・フーディーニが追う、ウィリアム・ヒョーツバーグ『ポーをめぐる殺人』(三川基好訳 扶桑社ミステリー)は、ポオへのアプローチが異形なまでに斬新で、忘れがたい。だが、解説に指摘されるように、小説を書くはるか前の、若き詩人ポオが登場するミステリは、類を見ないのではないだろうか。そこもまた、本書の持つ特異な味わいのひとつだろう。

陸軍士官学校の死』ルイス・ベイヤード 山田蘭訳 創元推理文庫 2010
PALE BLUE EYE by Louis Bayard, 2006
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488296025
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488296032
著者HP http://www.louisbayard.com/